32 なぜ人が堕落しないように摂理されないのか

神様は、創造原理によって、全てを創造された。従って、被造物のあるところには原理の基盤があり、原理の基盤が無いところには被造物が存在しない。神様は、原理によって完成できないものを、天宙に存在させないのである。そのため、原理の基盤を失えば、どのような被造物であっても破壊されるのである。それは、原理世界に存在することができなくなれば、無にならざるを得ないということである。

全ての被造物は、蘇生、長成、完成という原理的な過程を通過しなければならない。このような過程があるのは、被造物を完全なものにするためである。神様は、こうして完成した全ての万物を人に与えられた。しかし、人は、被造物が通過すべき過程を完全には通過することができなかった。つまり、人だけが堕落し、完成していないのである。そのため、人は、万物の主人の位置を失ってしまった。

神様が創造された以上、その完成基準も完全でなければならない。そうであってこそ、完全な神様だと言うことができる。ところが、人を中心とする創造目的を、人によって果たせずにいるのである。そのため、万物も、その存在目的を果たしていないという不完全な立場に置かれてしまった。つまり、人の堕落によって、被造物全体が、堕落の位置に置かれているのである。このように、神様の創造は、未だに完了していない。それゆえ、神様は、人を創造したことを嘆息されたのである。(創世記6章6節参照)

神様は、創造原理の完成基準を超えた人を、直接主管しようとされた。そのため、完成基準に至っていない人に対しては、原理によって、間接的に主管される。それは、定めた完成基準を無視することができないからである。こうして、人が完成してこそ、神様の創造原理が完全だと言えるのである。

しかし、原理によって創造された人間が不完全であるため、神様の原理が未だに不完全であるということになる。それゆえ、神様は今まで、天宙を直接主管することができず、間接的に主管してこられたのである。

神様が人に対して要求されていることは、創造原理の完成基準を超えて、神様直接主管圏に入ることである。しかし、人々は、未だに、そこに入ることができず、間接主管圏(原理結果主管圏)にいるため、神様は人々を思い通りに主管することができない。それゆえ、神様は、人が罪を犯しても、それに干渉することができないのである。もし、それに干渉すれば、神様は創造原理を無視した立場となる。そのため、神様は、人に対して、創造原理の完成基準にまで上がって来ることを要求されているのである。

神様が人に信仰を求めるのは、人が堕落したからであり、また、みことばを通して、神様と共にあることを望むようにさせるのは、人を堕落前の基準に復帰しようとするためである。つまり、再創造するように、人を完成させようとされている。

神様は、人を愛しておられるために、高い完成基準を定めて、苦難の路程を歩ませるのである。では何故、人の堕落行為を知りながら、堕落しないようにされないのか。

(1) 干渉すれば原理路程に戻ることができなくなるため

図において、創造原理の完成基準線よりも上の圏内で、神様は人を直接主管することができる。もし、神様が、原理結果主管圏内にある堕落点Xで、人の行動に干渉すれば、創造原理を無視したことになり、原理路程に戻ることができなくなる。そのため、神様は、人に干渉できなかったのである。神様が創造された原理であっても、その原理が完全なものになってこそ、完全な神様だと言うことができる。

創造原理軌道と復帰原理軌道

(2) 人を万物の主人として完成させるため

万物は、創造原理軌道を全て通過し、創造原理の完成基準線を超えて、完成した位置にある。人が万物の主人になろうとすれば、万物が通過した創造原理軌道を、完全に通過しなければならない。つまり、この軌道は、共通の軌道である。しかし、人だけが、堕落点Xで堕落行為をしたため、完成できなかったのである。

もし、神様が、そこで人を直接主管すれば、人は創造原理の完成基準に至らなかった存在として、共通の創造原理軌道を通過できなかった立場となるため、万物の主人になることができない。また、人の最高の希望は、神様から主管されることであるため、創造原理軌道を通過する前に、神様が干渉すれば、神様の主管のみを求めるようになる。このようになれば、人が創造原理の完成基準に到達することができなくなるため、神様は人を直接主管できないのである。また、人は本来、堕落したサタンよりも高い位置にあったが、神様が人に「誘惑するサタンに近づくな」と言えば、人がサタンよりも劣る立場となってしまう。それゆえ、神様は、人の堕落行為に干渉できなかったのである。

(3) 原理の創造主が唯一であるということを示すため

神様は、創造原理と被造世界の主人である。従って、被造物のあるところには創造原理があり、神様が居られる。もし、創造原理と関係の無い存在があったとしても、或いは創造していない原理や、それに因る行動があったとしても、神様は、それらに干渉することができない。それゆえ、神様が、たとえエデンの園にいるアダムとエバの堕落行為を知っていたとしても、神様ご自身は、そのような原理を創造されなかったため、それは神様にとって、あり得ない行動となる。もし、神様が堕落行為に干渉すれば、その行為が原理的な行為であるかのようになってしまう。そのようになれば、サタンが第二の創造主として、原理を創造した立場になるのである。つまり、原理の創造主が神様だけであるということを示すため、神様は堕落行為に干渉できなかったのである。

以上が、人の堕落行為を知りながら、堕落しないようにされなかった理由である。人は、完成基準線に向かうべきであったが、堕落点Xで創造原理軌道を外れ、原理の無い創造前の無原理圏に向かっていった。つまり、Yから地獄Zまで落ちたのである。そこから、堕落世界が始まった。そして、その堕落世界である無原理圏の地獄で、サタンは、原理に反する者の長として、原理に反した人々の主管を始めたのである。本来、原理に反すれば、破壊され、無にならなければならない。つまり、地獄は破壊圏でもある。しかし、人が無にならず、地獄にいるのは、永遠の存在として創造されたからである。これは、サタンも同様である。無原理圏の存在であるサタンは、空中権勢を持つ者と言われている。(エペソ2章2節参照)

人が原理に反して地獄に落ちたため、完成した万物も、神様の直接主管を受けることのできない状態となった。つまり、被造世界は、人の堕落によって、創造する前の世界のような、価値の無い世界となったのである。

その価値を回復するために、摂理が始まった。神様が、その摂理によって、サタンから人を取り戻し、再創造するようにして復帰することを目的としてこられたのである。人が、堕落点Xから地獄Zにまで落ちたという結果を見れば、このXYZ線は、み言を破り、原理に反したことを表す線である。神様は、人をみ言で創造されたが、結果としては、そのみ言を失ったも同然であった。

それゆえ、神様は、無原理圏において、み言を立てるための摂理を展開してこられたのである。それを成就することが、信仰の目的である。このようにして、神様は、人々を無原理圏から救おうとされている。こうして、人々を原理通りに完成させることが、神様の目的である。

人類歴史の6千年にわたる復帰原理軌道DEFGの最高目的は、創造原理の完成基準に至っていなかったアダムとエバを完成させることである。こうして、堕落していないアダムとエバが子女を得ることによって、神様は基盤を立てることができ、また、人が堕落していないという結果を得ることができる。今、人々が、神霊によって、エデン復帰のことを語っているのは、基本となる原理を完成させなければならない時期に入っているからである。

こうして、アダムとエバが完成し、さらに、その子女たちが完成するためには、旧約時代、新約時代、成約時代を、それぞれ蘇生、長成、完成とした復帰原理軌道を通過し、創造原理の完成基準を超えなければならない。つまり、完成したアダムとエバ、及び、その子女たちを探し出すための歴史が摂理歴史である。それゆえ、今、知っておくべきことは、我々には堕落した父母はいるが、神様を立証することのできる完成した原理的父母がいないということである。我々は、その完成した父母を迎えることのできる完成した子女の立場に立たなければならない。それが、聖書のみ言を中心とする新約信仰の本来の目的である。

イエスは、完成したアダム格の存在である。再臨のイエスは、人類の父として、人類の母となるべき完成した女性を探し出し、根本となる原理を完成させなければならない。そのための祝宴が、子羊の婚宴である。このように、人類が、完成した原理的父母を地上で迎える時代、それが地上天国時代であり、成約時代である。天でも地でも、この時代を待ち望んできた。こうして、天では、楽園生活が終わり、初めての天国生活が始まるのである。

我々が、完成した父母を信奉して生活すれば、この地上は、楽園を経ずに、直接、天国となる。これが、完全完成復帰世界である。これを待ち望んでいる我々は、6千年の全ての失敗を清算して、サタンまでも屈服させなければならない立場なのである。


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