30 天と地に母を迎えなければならない
30-1 天でも地でも父の中にある子女の核は母から生まれる
既に述べたように、天の父だけが、人と向き合って居られるのは、人が堕落し、未だに完成していないからである。
子女には、必ず父親が存在する。子女の基本的な核は、父親の中に存在するのである。それは、神様の中に、男性と女性が存在していることを意味しているのであり、これを分立して実体としたのが人の創造である。しかし、父親は、子女を生むことができない。父親の中に子女の核が存在していても、母親の体を通してこそ、子女の体が構成されるのである。そして、生まれた子女は、父母の分身として、その役割を持つことができるようになる。さらに、人は、霊人体を完成させ、神様と一つにならなければならない。しかし、これが、未だに果たせていないのである。
我々が、天の父を求めなければならないのは、堕落によって、肉身の父母が未完成であるため、その完成への道を探し出し、堕落した体を、堕落していない体にするためである。つまり、父親になるべき男性が、母親になるべき女性を、未だに得ていないということであり、そのため、男性の中にある子女の核が、子女として、この世に現れることができずにいるということである。それゆえ、母親になる女性は必ず必要であり、その役割を果たすことのできる女性がいてこそ、愛を中心として、子女が生まれるのである。
天に行った霊人たちは、天の父の中に存在している。そのため、この霊人たちを再び生まなければならない。そうしてこそ、この霊人たちを完成させることができる。それゆえ、天の母が必要なのである。
堕落によって、人は、非原理的な母親から生まれるようになった。そのため、人は、再び生まれなければならない。その仲介的役割を果たしてきたのが、イエスと聖霊である。しかし、今まで、イエスと聖霊は、完成した父母の立場に立つことができなかった。それは、地において、未だに父母が完成していないからである。それゆえ、この地にイエスが再臨し、神様を中心として、霊肉が一つになった父母を完成させなければならない。これを成せば、天の霊人たちは再び生まれ、神様の系統を継承することができ、地においては、父親となる男性の中に存在する核が、母親を通して子女として生まれ、地上天国で暮らすようになるのである。
30-2 再臨主の聖婚によって人が完成へと向かう
人が未完成であるということは、天の父の中に存在する子女のような立場であるということである。それゆえ、まず、イエスと聖霊を通して、生み変えられることによって、霊的に神様の系統を継承し、霊人を生命級にまで引き上げなければならない。しかし、これだけでは、霊人も肉身も未完成のままである。そのため、再臨主が、地上で聖婚されることによって、基本となる父母を立て、人々を養子とするのである。つまり、子羊の婚宴によって、人々が生霊体を受ければ、霊人を完成させることができると同時に、肉身を完成させることができる。これが、再び生まれるということである。
このように、再臨主は、父として、母となる女性を迎えなければならない。神様は今まで、天の父としてのみ居られたが、地上に父母を立てることによって、初めて天の父母が成立し、天の家庭を築くことができると同時に、地上でも理想家庭を築くことができるようになる。
アダムとエバが堕落したことによって、アダムは、顔に汗を流してパンを得ることになり、エバは、産みの苦しみを覚えることになった。そして、人は、生まれ変わらなければならない立場となった。つまり、非原理的な立場で生まれたため、原理的な立場で再び生まれなければならない。
アダムとエバが罪を犯したため、人々は苦難の道を歩むことになった。このような人々が、この世で成すべきことは、完成した父母として、天の父母の体となり、創造目的を完成させることである。これを完成させるためには、再臨主によって生まれ変わり、基本から始めなければならない。こうして、霊人たちも父母に仕え、完成することができるようになるのである。
30-3 天と地で母が完成すれば神様は天の父母となる
今まで神様は、完成した父として現れることができなかったため、イエスをご自身の身代わりとされてきた。そして、神様は、ご自身を父として完成させるために、地上に再臨主を送られたのである。それゆえ、再臨主が父として完成すれば、神様は天の父として、天にも地にも現れることができるようになる。
さらに、天と地において母が完成すれば、天と地が一つになり、天宙の全てが成就し、理想が始まるのである。こうして、天ではイエスを中心とし、地上では父である再臨主を中心として、摂理が進んでいくのである。
再臨主を迎える人々は、今後、イエスを兄としなければならない。こうして、イエスが、人々の兄、即ち、神様の長男となることによって、神様は父としてのみ居られるのではなく、父母として居られるようになるのである。
従って、世界中の人々は、真の父母を中心としなければならない。再臨主は父として、永遠なる天の父と一つになり、地上の母は、永遠なる天の母と一つになるのである。また、真の知恵を得て、天の子女の立場に立った者は、その立場を持って、天に向かうことができる。このような時であるため、信仰者の中には、天の母という言葉を、霊的に教示された人たちもいるのである。
30-4 母から生まれた肉身の重要性
この被造世界においては、人だけが未完成である。それゆえ、天宙は、人の完成を待ち望んでいるが、人は、再臨主によって、初めて完成するのである。それゆえ、堕落世界にいる人々は、その世界を抜け出し、新たな生活を始めなければならない。しかし、堕落世界の因習を、そのまま維持させようと、新たな生活への出発を邪魔する者がいるかも知れない。そのため、天は、そのような者がいなくなることを望んでいる。
天から特別に選ばれた者たちは、一つになり、それぞれの使命を果たさなければならない。そして、その人生を全うするためには、天の信徒たちと一つになり、果たすべき使命を探し求めなければならない。
今まで、天の父として摂理を展開されてきた神様の希望は、地に父母を立てることによって、サタンに侵害されない世界、即ち、原理的な神様を中心とする世界を築くことである。
ところで、神様は、人が堕落する前から、天の父として居られた。神様の中には、男性と女性の核があり、その二性を分立して、人の肉身を創造されたのである。それゆえ、肉身は、神様のかたちを現している。神様は、その肉身に生心を与え、その生心が、肉身と共に、蘇生、長成を経て完成するようにされ、さらに、天に行く時まで、肉身から離れることができないようにされた。
このように、神様の中には、男性と女性の核があるのであり、その中に入れておいたものが、アダムとエバの生心であった。アダムとエバは、この生心によって愛することにより、夫婦として完成するはずであったが、夫婦となる前の準備段階で堕落したのである。
人は、肉身を通して、霊人を完成させ、永生を果たさなければならなかったが、その肉身が堕落することによって、それを果たすことができなかった。ある人々は、人がこの世に生まれたのは、堕落したからだと考えている。しかし、それは大きな間違いである。そのように言う者は、神様が、どのような目的で人を創造されたのか知らないのである。人がエデンの園から追い出された時に、肉身を持ったと考えている者たちは、聖書を見る価値がない。人には、堕落する前から肉身があったのであり、その肉身が堕落したため、エデンの園を追放されたのである。これは、どのような意味なのかと言えば、神様が、アダムとエバの肉身を放棄されたということであり、「取って食べると、きっと死ぬであろう」と言われたのは、この事なのである。このように、アダムとエバが地で堕落したということを知らなければならない。
人は、肉身を持っているため、地上の存在を主管することができる。しかし、人は、肉身が堕落しているため、未完成のままである。つまり、地上の存在は、未完成な人々によって主管されてきたのである。
肉身を持ったアダムとエバは、天の父の中にある男性と女性の核を育てる土台として創造された。しかし、この肉身が堕落したため、むしろ、サタンが活動するための土台となってしまったのである。もし、人が、堕落せずに完成していたならば、その肉身は、この上なく価値のある貴い存在となっていた。このような肉身があるからこそ、霊人が完成すれば、美を完成させることができるのであり、それを天使までもが羨ましく思うようになるのである。
このように貴い肉身を完成させることができなければ、人の創造が未完成のまま終わることになる。そのため、神様は、肉身を完成させるために、今まで苦労してこられたのである。もし、人が、霊人のみで完成することになっていたならば、イエスは地上に再臨されなくてもよかった。しかし、地の肉身を完成させなければならないため、イエスは地上に再臨されたのである。
アダムとエバは、肉身が堕落した後であっても、良心作用を受けるようになっていた。それは、生心という良心作用の土台があったからである。それゆえ、人々は、堕落の程度に合った良心作用を受けるようになっている。本来、良心は、言い表すことができないほどの高い位置、即ち、神霊ほどの高い位置にあり、善なる人ほど作用するのである。この良心作用は、霊界を通して感じることができる。それが自分に働いているのは、自分に生心という良心作用の土台があるからである。
イエスは、神様を天の父とされながら、完成した第二アダムとして、エバ格の女性を立てようとされていた。それは、サタンに対して報復することであり、また、エバのような失敗が二度と無いように、イエスがアダムの代わりに、主管的立場を復帰しようとする意味もあった。そして、イエスの前に、エバ格の女性が現れれば、その女性に、エバの霊である聖霊が臨在し、イエスの主管下で成長したあと、イエスと一つになっていたのである。また、聖霊も、天において、その時を待ち望んでいた。しかし、イエスは、目的を果たせないまま昇天され、聖霊と共に居られることになった。それゆえ、イエスは、果たせなかった目的を果たすために、肉身をもって再臨されたのであり、我々は、その方によって、肉身を完成させることができるのである。
天に行った人々も、地上で肉身を完成させなければならなかった。しかし、それができないまま、歴史が延長されてきたのである。そのため、神様は、未だに天の父としてのみ居られ、全てが未完成のままとなっている。それゆえ、イエスも、聖霊も、神様も、天に行った人々も、肉身の完成を待ち望んでいるのである。
基本となる創造原理が完成してこそ、人々は、真の父母を通して、肉身を完成させることができる。それゆえ、天では、第三アダムとして来られた再臨主が、エバ格の女性と共になることを、心から望んでいるのである。
肉身は、地で堕落したため、地で完成させなければならない。それゆえ、イエスは、地に再臨されたのである。この肉身が完成すれば、神様と直接対することのできる立場となる。これを果たすために、この世に宗教が起こったのである。本来、宗教というものは、必要ではなかった。そのような宗教によって、様々な問題が生じたことには、やはり嘆息せざるを得ないのである。
今まで信者たちは、基本原理というものを知らなかった。それゆえ、サタンを無くそうと、肉身を否定する生活をするようになったのである。それは理解できることではあるが、基本原理が完成に向かっているこの時にあって、今までと同様に、肉身を罪の根源としていてはならない。そのような事をしていれば、肉身を創造された神様が悲しまれるのである。それは、肉身が貴い存在であり、また、それが未完成であれば、全てが永遠に未完成のままになるという大きな問題が生じるからである。従って、地上の肉身は必要である。その肉身によって、霊人を完成させることができ、地上天国を築くことができるということを知らなければならない。
30-5 この世に父母がいるように天の父母が居られなければならない
我々は、原理世界を望んでいる。その世界が理想であり、地上天国である。それは、本来あるべき世界である。その世界が、天宙と一つになり、全てが完成しなければならない。それが、天の父を信奉している我々の望みであり、それを実現させることが我々の課題である。
我々は、天の父母の子女になろうとしているのであり、天の父も、それを望まれているのである。従って、天の父の前で、地上の父母は一つにならなければならない。また、この世に父母が存在するように、天にも父母が居られなければならない。
地上では、父親の中にある子女の核が、母親を通して生まれるようになっている。これと同様に、天の父の懐にある核が、天の母の懐を通して生まれるのであり、その存在は、天の父母の愛と一つになってこそ、霊人として完成するのである。
地上にいる人々は、霊人たちよりも、天の父母を信奉し、全体を完成させる責任がある。過去の義人たちは、土台を築くための犠牲となった。そのため、その義人たちの霊人を、我々が彼らに代わって完成させなければならない。