29 み旨成就のために果たすべきこと
29-1 地の父母が未完成であるため天の父母も未完成
この世の父母は、子女が自分たちのように結婚し、家庭を築くことを望む。何故なら、それは、人として完成するために、必要なことだからである。これに対して、子女たちは、父母が理想的な存在であることを望む。従って、父母の責任は、理想的な存在となり、子女を人として完成させることである。
神様は、人をご自身の体として、地に父母を立てることによって、天に根本の父母を立て、原理を完成させようとされた。しかし、人が神様と一つになれず、未だに、その目的が果たされていない。神様と人が一つになってこそ、原理が完成し、全体が完成へと向かうのである。
神様が望まれていることは、天の父母を立てることである。それが果たされていないために、天の父だけとなってしまった。これは、未だに創造目的が果たされていないことを示しており、また、人が未完成であることを意味しているのである。つまり、神様の愛を中心として、地上の夫婦が、神様と一つになるべきであったが、人の堕落によって、その目的を果たすことができなかったため、天の父母は未完成となり、地上の夫婦も未だ非原理の状態にあって、未完成なのである。
従って、今まで神様が父としてのみ居られたということは、現在も人が未完成であった創造当時の状態と、何ら変わっていないということになる。神様の目的は、天と地の両方で成就しなければならないが、地の父母が立っていないため、天の父母を立てることができず、そのために、天が未完成なのであり、それによって、地も未完成であるという、嘆息せざるを得ない状態なのである。
このような堕落世界を復帰するということは、神様が人を完成させるために、救援摂理をされるということである。これは、完成したアダムとエバによって成されるのである。このアダムとエバが、神様と一つになり、天の父母が完成すれば、天地の全てを完成させることができ、全てが、それぞれの使命を果たすことができるようになる。ここで初めて、存在目的が完成に向かうようになり、全てが幸福になるのである。それゆえ、天に行った人々も、この時を待ち望んでいる。そして、天が完成すれば、地上天国も完成するのである。その地上天国は、天と共に動くため、地でありながらも天でもあると言えるのである。
しかし、今は、そうではないため、神様は、地と一つになることができない。もし、神様が、不完全なものに直接対すれば、神様ご自身が非原理的な立場となり、理想を実現することができなくなる。そのため、今まで、地に直接対することができなかったのである。
人は、夫婦として、天の父母と一つになってこそ、創造目的を果たした立場に立つことができる。しかし、天の父母が未完成であるため、地の人々も、天に行った人々も未完成であり、理想的な対象存在を持つことができないのである。従って、神様のみ旨を完成させ、天の父母を中心とする地上天国を築かなければならない。そこで生まれた人々は、天の父母を中心として、永遠の夫婦となり、さらには、天の霊人たちも、天の父母を中心としながら、夫婦として、家庭を築くことができるようになる。
神様は、全てを完成させるために、天の母を求めている。天と地に父母がいてこそ、天は本体だと言えるのであり、地は対象だと言えるのである。また、地は天の影であると明かしてきたが、地で父母が完成してこそ、全てが完成に向かうのである。
人は今まで、原理を知ることができなかった。そのため、歴史が、このように延長されてきたのである。しかし、こうして、原理の基本が明らかにされたのであるから、それを知った全ての人々は、原理を完成させるために、全力を尽くさなければならない。
29-2 人は家庭を築くことによってみ旨を成就することができる
原理が完成へと向かっていけば、人々は、原理的な愛の理想を求めるようになる。そのため、自然に離婚が多くなるのである。それは、人々が今までの非原理的な立場から開放されたいと思っているからである。
ある夫婦の関係が、原理的な理想に合っていれば、その夫婦を分立することはできないが、もし、そうでなければ、原理の完成を助けるために、夫婦を分立することもある。しかし、再び原理の完成に向かわなければならないため、いつでも簡単に分立できるわけではない。
では、現在、夫婦として過ごしている男女が、永遠の夫婦になるのかと言えば、そうではない。非原理世界で出会った関係であるため、離婚が多いのは当然であり、また、互いに霊人体が未完成のままとなるため、原理的に見ても、分立せざるを得ないのである。
ここで、原理が完成の段階に向かっていることをよく知り、我々が、神様のみ旨を成就させるべき立場であることを理解しなければならない。何故なら、神様は、人が夫婦となり、家庭を築くことによって、み旨が成就するようにされたからである。それゆえ、神様は、人の命を何よりも貴く思われるのであり、イエスも、「人が、万一、全世界を手に入れても、自分の命を失えば、何の得があろうか」(マタイによる福音書16章26節)と言われたのである。ただし、このみ言は、人が原理的な立場に立っていることを前提としている。
世界の人々は、天の父母を求めて一つになり、永遠の家庭を築かなければならない。そのためには、所有物の全てを聖別し、神様につながる儀式を経て、養子の立場で、神様の系統を継承しなければならない。