25 原理的な成長期間から見た進化論

25-1 被造物は全体目的の中で成長する

被造世界に存在している以上は、中心的存在に対して、相対的存在としての立場を取り、対象として完成しなければならない。そして、それ自体の使命を果たすことによって、原理的な存在目的が完成するのである。

被造物には、対象として完成するまでの成長期間がある。その期間には、蘇生、長成、完成という三段階があり、それを全て通過してこそ、対象として存在することができる。また、各存在には、それぞれ個性があり、小さな存在は、より大きな存在の構成要素として、中心的存在の対象となるために創造された。こうして、各存在が、構成要素としての存在目的を持って、互いに授受しながら、全体が構成されていくのである。これが、被造世界の真理である。

このように、小さな存在は、より大きな存在を維持するために創造された。これは、不公平であるかのように見えるが、小さな存在が無ければ、より大きな存在を構成し、それを維持することができないのである。大小の存在は、それぞれ異なった存在目的を持っている。しかし、各存在が、それぞれの存在目的を果たしていれば、それによって、大小にかかわらず、全体目的のために存在していることになるのである。

被造世界では、各存在が、対象としての位置を定め、全体目的の中で、それぞれの存在目的を果たそうとしなければ、存続することができない。つまり、どのような存在であっても、単独で存続することはできないのである。さらに、存在する以上は、それ自体が中心となって、対象を求めなければならない。このように、中心として、或いは対象として、授受する相手を定めてこそ、共に目的を果たし、完成することができる。このように、互いに助け合いながら、より大きな目的に向かっていくのである。

ある存在が、対象位置に向かっている途中であれば、それは、天宙の存在形態の一部を見せていることになる。こうして、その存在が対象位置に至れば、中心的存在と連結され、完成した形態となるのである。

全天宙は、中心である神様に対して、相対位置を定めているが、その位置から対象として完成し、神様と授受できるようにならなければならない。そして、被造物は、神様に代わって、授受できる対象を完成させなければならない。その際、被造物が、それぞれ別々に、その目的を果たすのかと言えば、そうではない。全ての被造物が、全体目的を中心として協力してこそ、それぞれの存在目的を完全に果たすことができる。このように、被造物は、それぞれ完全に分立された存在ではなく、互いに関連を持ちながら存在しているのである。


25-2 ダーウィンの進化論が適用される理由

上述のように、各存在が成長するためには、より小さな存在が絶対的に必要である。従って、大きな存在は、存在目的を果たすために、より小さな存在を得なければならない。自然界では、弱い存在が強い存在の犠牲になっているように見えるため、弱肉強食が自然の摂理であるかのように捉えられている。

天宙には、蘇生級、長成級、完成級の存在があり、それぞれ異なった役割を持っている。また、蘇生級から長成級、或いは長成級から完成級に向かう途中の中間的な存在もあるため、自然界においては、ダーウィンの進化論との合致が見られる。これが、ダーウィンの進化論が適用される理由である。


25-3 人が未完成であれば被造物の存在目的も未完成

目的の無い存在は、被造世界では存続することができず、無とならざるを得ないが、神様を中心とする全体目的の中にあれば、神様につながることができるため、最終的には、対象として完成するのである。

被造世界において、最高の相対位置、即ち、神様の相対位置に立っているのが人である。従って、被造物は、人の完成のために存在していると言うことができる。つまり、人が未完成であれば、被造物の存在目的も未完成であるということになる。このように、被造世界は、人を中心とする世界であるため、人が堕落すれば、被造物も堕落するという結果になる。

事実として、人は堕落し、未完成である。従って、全ての被造物は、存在目的が未完成のままである。つまり、人の堕落が原因となって、全天宙の堕落が始まったのである。そのため、人は、天宙から責任を追及されている。

もし、地上に人がいなければ、動物や植物などが存在しているとしても、その存在目的は未完成のままとなり、存在価値が無くなるため、それらは自然に消えざるを得ない。また、地上に人がいても、堕落した位置にいるならば、神様の目的とは関係がないのである。つまり、堕落とは、神様の目的と無関係になることである。こうして、人が神様から離れていったために、全天宙が嘆息せざるを得なくなったのである。

堕落した人類を復帰し、神様の目的に向かわせようとするのが、救援摂理である。これによって、人々が、神様の目的に向かうようになれば、天宙の全てが、存在目的を取り戻して、希望を得ることができるのである。


25-4 全てが人の完成を待ち望んでいる

このように、天宙の全てが、人の完成を待ち望んでいる。しかし、人が完成するためには、まず、堕落前の出発点に戻り、そこから完成に向けて、新たに出発しなければならない。従って、歴史は、その出発点である原始共生主義のような形態へと向かうことになる。その出発点から、創造目的が完成していくのである。

人は、神様の相対位置にあり、全天宙の中心的存在となっているため、万物の霊長という立場にある。さらに、人は、万物の全ての要素を持っているため、被造世界の全てを現していると言うことができる。つまり、人が、万物を主管することができるのは、万物の全ての要素を持ち、万物の中心となっているからである。

聖書の創世記に記されているように、人が創造されるまでには、6日間の創造期間があった。つまり、神様は、初めに蘇生級として、光、空気、水、地を創造され、次に長成級として、植物を創造され、その次に完成級として、動物を創造された。

光、空気、水、地の創造は、全てを完成させるための基礎的な創造であった。その基礎の上で創造された植物の目的は、動物を生存させることである。従って、動物は、植物を離れて存続することができない。

動物は、完成級の存在であるが、人以外の動物は、何のために創造されたのかと言えば、特に、人を慰労するために創造された。そして、人は、神様の体として、ご自身のために創造された。


25-5 ダーウィンの進化論はその通りではない

蘇生級、長成級、完成級の被造物は、それぞれ存在目的の完成に向かっていき、最終的には、人につながるのである。ところが、進化論では、被造物が一つの目的に向かって完成していくとは考えず、それぞれが別々に進化するものと考えている。しかし、被造物は、進化すること自体を目的としているのではなく、創造本意の通りに完成することを目的としている。つまり、被造物は、あらかじめ完成のかたちが定められているのであり、蘇生、長成、完成という成長段階を経るようになっているのである。従って、ダーウィンの進化論は、その通りではない。ただ、神様の創造が、秩序的な進化に見えただけである。

天宙は、人の構造を手本とし、人の構成要素によって創造された。それゆえ、全ては、蘇生、長成、完成を経て、人の構造を表すようになっている。これは、社会、国家、世界の場合においても同様である。その上で、人が神様の対象として完成すれば、神様は人を通して、天と地を原理によって主管することができる。こうして、天と地が、神様を中心として一つになるのである。


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