24 地上天国を築くにあたって

24-1 神様は堕落していない父母格の人物を立てられる

完成したアダムとして来られた再臨主が、エバを復帰し、原理的なアダム、エバとして、地上に現れなければならない。この二人が、人間の根本的な祖先となる。こうして、天宙の中心である父母が完成するのである。

もし、アダムとエバが堕落しなかったならば、原理的な父母として、神様と三位一体となり、人々は原理世界において、その血統を永遠に継承し、天も共に完成するはずであった。しかし、アダムとエバが堕落し、非原理的な父母となったため、人々は、原理的な父母を失った孤児のようになってしまった。それゆえ、サタンは、人々を自分のものとし、原理に通じる道をふさいだのである。こうして、人々は、良心の呵責を覚えながら生きていくことになった。神様が、このような状況を見られるときに、どうして嘆息せずにおられるだろうか。

そのために、神様は、堕落していない原理的な父母格の人物を立てようとされるのである。従って、その人物は、神様を中心として現れなければならない。神様がイエスを送られたのは、そのためであり、再臨主も、そのためである。ところで、イエスは、み旨を完全に成就することができず、原理的な地上の起点を定めることができなかった。それゆえ、神様は、三次アダムとして再臨主を送ることを約束され、今まで天において、地上の起点を完成させるための準備をしてこられたのである。

堕落した人類は、再臨主によって、神様につながることができる。こうして、人類は、神様の養子として、み旨を継承することのできる立場となるのである。そのようになれば、人類は、父母を知った立場となり、初めて価値のある存在となる。これは、どれほど感謝すべき事であろうか。父母を知らなければ、価値の無い存在のままである。それゆえ、父母を知る喜びは、何事にも代え難いものである。

天に行った信徒たちは、楽園という準備段階のところに居ながら、再臨主によって、基本原理が完成することを待ち望んでいる。つまり、天の存在は、まだ、天国生活をすることができずにいるのである。天国生活は、基本原理が完成し、天の父母を中心としてこそ、始めることができる。従って、天国に行った人は、今までに一人もいないのである。

このように、地上で原理が未完成であれば、天でも原理が未完成なのである。それゆえ、我々は、原理を完成させる方向に向かわなければならない。では、どのようにすれば良いのか。今後、我々は、再臨主と復帰されたエバを父母として、その血統を継承し、また、再臨主を中心として、精誠を尽くし、サタンに勝利しなければならない。サタンは、この6千年間、信徒たちを殺してきたのであり、また、非原理によって、人々を欺いて食い物にし、人々に苦痛を与えてきたのである。サタンに勝利しなければ、原理を踏みにじってきたサタンが、また我々に侵入してくるのである。

我々は、堕落原理によって、サタンがどのように侵入してくるのかを知っている。それをサタンに指摘すれば、サタンは、我々に屈服せざるを得ない。そして、原理が完成すれば、我々は、創造本然の位置に立つことができるのである。今までは、それを知らなかったが、知った後で、その位置に立つことができなければ、その人は、地上に存在する価値が無くなり、サタン側になるという恐ろしい結果となる。従って、我々は、原理上に立たなければならない。どのような悪魔であっても、原理上の存在には勝てないのである。

全ての人々が、原理上に立つならば、サタンは、人々を支配することができなくなるため、この世界は、堕落の無い原理世界となる。そこでは、原理的な天の父母の懐の中で、自己を完成させることができるのである。

世界の人々は、自分だけを中心とはせず、天の父母を中心とする兄弟として、み旨を果たすために授受しなければならない。こうして、皆が、神様の対象として、原理的な存在となり、国境を越えて、一つの目的のために授受するようになれば、どこにおいても、原理によって通じるようになる。その原理によって、世界は完成するのである。

堕落世界から復帰された我々は、二度とその世界に戻ってはならない。また、誰もが、自己を完成させるために、罪を清算し、最後まで努力しなければならない。


24-2 人類歴史は原始共生主義時代のような形態に向かう

神様が人を創造されたのは、人を神様の体とするためであった。しかし、人が堕落したために、それを果たすことができなかった。つまり、人は、神様の相対位置から、完全対象位置に向かっていく途中で堕落し、今も不完全なままである。それゆえ、神様は、摂理を展開することによって、人を堕落の状態から救援し、神様の体として完成させようとされているのである。

人は、神様と完全に授受することのできる対象位置に立ってこそ、原理的な存在となり、創造目的を完成したと言うことができる。こうして、神様と人が一体化することによって、全ての創造が完成し、全ての存在が神様と一つになるため、全ての原理が完成するのである。この目的を果たすための路程が、人類歴史である。

このように、人を中心として、全ての原理が完成に向かっていくため、人類歴史は、堕落する以前のような形態に向かっていかざるを得ない。つまり、この世界は、人類歴史の出発点である原始共生主義時代のような形態に戻るのである。

サタンが先に人を主管したため、人類歴史では、サタンが神様のようになってしまった。従って、神様は、このような人類歴史を取り消し、サタンに主管された人々を無くそうとされる。しかし、それは原理的にである。それゆえ、神様は今まで、原理的屈服を基本としてこられたのであり、神様に対抗するサタンは、自分の最高の知恵と論理によって、この世を動かしてきたのである。

サタンが、この世で活動できるのは、人が堕落し、原理が未完成のためである。従って、神様は、人を復帰し、原理を完成させなければならない。原理が完成に向かえば、サタンは徐々に追い込まれることになる。それゆえ、サタンは、原理が未完成のままであることを望みながら、様々な手段を使って神様に対抗し、自分の立場を維持しようとする。しかし、原理は完成に向かうため、非原理世界は必ず終わりを迎えることになる。結局、サタンは居場所を失うため、サタン自身も原理的にならざるを得ない。こうして、堕落する以前の原始共生主義時代のような形態に戻り、神様だけが中心となる原理世界が実現される。これは、喜びであり、幸福の始まりである。歴史をこのように導いているのは、神様であり、イエスと聖霊であり、天使と天の信徒たちであり、天の家族である。


24-3 人々は善と義に従うようになる

我々は、非原理である共産主義に対して、徹底的に対抗し、それを終結させ、原理の父母を中心とする共生共義主義を立てなければならない。サタンのすることは、全て原理の真似である。いわゆる共産党員たちが、党に絶対服従するのは、非原理的に自分の立場を守るためであるが、我々は、神様を信奉しんぽうし、皆で悪の侵入を防止しなければならない。また、共産党員たちは、仲間同士であっても、互いに信じられないため、情報員を付けて、仲間の行動を互いに調べている。このようにしてでも、任務を遂行しようとするのである。つまり、原理の真似をしながら、それとは反対のことをしているのである。

サタンは、ほうぼうを回って、非原理的な人々を探し出すが、結局、彼らは互いに不信することになる。それが、サタンが不信の中心的存在となっている証拠である。我々は、サタンに対して、また、悪なる者に対して、無慈悲な時代に向かっていることを知っている。つまり、神様の摂理の中に、共産主義が現れたのは、神様のみ旨が成就することを予告しているのである。そのようになれば、唯物史観の問題は、自然に解決される。原理的な時代が近づいてくれば、人々は、悪と罪を相手にせず、善と義に従うようになる。それゆえ、もし悪があったとしても、それは、かえって刺激となり、神様のみ旨を助けるものとなるのである。


24-4 自己を完成させることが地上天国への近道

我々は、み旨を中心として生活し、また、自己の完成を生涯の目的としながら、全体の完成のために協力していかなければならない。そのためには、常に自分を悪から守るということが重要である。このようにして、自分自身が、神様の対象として完成すれば、次は、自分の対象を完成させ、天と地を仲介する立場に立ち、万物までも神様につなげていかなければならない。

神様のみ旨を知った我々は、急いで地上天国を築かなければならない。これに対して、何の思いもかなければ、その人は、原理的な立場に立っていないのである。我々は、サタンの活動基盤を破壊して、どこにでも、み旨を展開することができるようにし、残された神様のみ旨を全て果たさなければならない。それができなければ、神様に対して、面目が立たないのではないだろうか。サタンを中心とする共産主義者たちでさえ、彼らの目的を果たすために、自分の命を惜しまないのである。我々は、地上天国を築こうとする努力もせず、子孫に苦労をさせようとするのか。み旨を知っていながら努力しなければ、それ以上に大きな罪はない。そのような者は、いつまでも完成しないのである。神様は、我々に対し、原理的な存在として完成することを待ち望んでおられる。従って、我々は、互いに協力しながら、自己を早く完成させなければならない。そうしてこそ、神様のみ旨を早く成就させることができるのである。


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