20 摂理路程における40数復帰の根本意義
20-1 人の堕落によって地は非原理世界となった
エバが堕落したため、その時から、人間世界は非原理世界となった。これに対して、神様は、その世界を原理的に復帰する態勢をとってこられた。こうして、神様に属する人物が摂理上に現れ、その血統が今まで残されてきたのである。それは、希望的なことであるが、その血統は、非原理的なところから復帰されたというのが事実である。つまり、神様のみ
アダムとエバの息子であるカインとアベルが、神様に供え物をしたことは、既に知られている通りである。長男のカインは、サタンとエバとの関係、即ち、サタン的な血統を表した者であり、次男のアベルは、アダムとエバとの関係、即ち、アダムの血統を表した者であった。そのため、神様は、アベルの供え物を受け取られたのである。つまり、神様は、初めに生まれた者よりも、次に生まれた者を愛されたということである。しかし、聖書を見ても、神様がアベルの供え物を受け取られた理由については記されていない。何故なら、アダムの時代には、み旨を成就させることができず、これから、先の見えない復帰摂理を展開しようとされていたからである。そのため、今まで、その部分を明確に示すことができなかったのである。
神様が、アダムとエバを復帰できなかったのは、非原理存在のサタンが、先に彼らの主人となっていたからである。創造原理では、神様が主人であるため、アダムの息子をサタン側と神様側に分立するために、カインとアベルをそれぞれ不従順と従順の表示体とされた。それを明確に示したのが、彼らの供え物であった。神様は、サタン的な血統であるカインの供え物ではなく、アベルの供え物を受け取られたが、アベルがカインよりも精誠を尽くしたということは、聖書には記されていない。根本的な原理を知れば、人間の堕落に関する私の発表が、正論であると分かるのである。
もし、カインが、神様の愛の懐を求め、アベルを愛していたならば、神様は、カインがサタンの所有とならないように分立はされず、喜ばしい復帰となるはずであった。しかし、カインは、神様のみ意が分からず、神様に反逆したため、み旨を破壊する根源となった。そして、このような彼の行動が、人類の最も悲しい出発点となってしまった。
カインがアベルを殺したため、神様はアベルの代わりにセツを立て、再び摂理を始めようとされた。しかし、歴史が経過する中で、セツの子孫も、やはり、神様のみ意が分からず、カインの子孫と同様に、サタン側の仲間となった。こうして、全ての人々はサタンの所有となり、この地は非原理世界となってしまった。
20-2 ハムの失敗によって40日の洪水審判は失敗となった
そのため、神様は、み
神様は、洪水審判が終わった時、かつて創造を終えた時と同様に、み旨を始められた。つまり、サタンが存在しているという前提で、み旨を始められたのである。それゆえ、洪水審判後の物語は、次のようになっている。
40日たって、ノアはその造った箱舟の窓を開いて、カラスを放ったところ、カラスは地の上から水がかわききるまで、あちらこちらへ飛びまわった。(創世記8章6節から7節)
ここで、カラスとは、サタンを象徴したものであり、この聖句によって、地上の世界が、サタンから始まったということを表したのである。では何故、カラスは、ノアのところに帰らず、飛びまわっていたのか。それは、サタンが、侵入できるところを探していたのであり、今も、そのようにしているということである。
上記の聖句の続きは、次の通りである。
ノアはまた地のおもてから、水がひいたかどうかを見ようと、彼の所から、ハトを放ったが、ハトは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。それから7日待って再びハトを箱舟から放った。ハトは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水がひいたのを知った。さらに7日待ってまた、ハトを放ったところ、もはや彼のもとには帰ってこなかった。(創世記8章8節から12節)
このように、三度もハトを放つことによって、ようやく水の引いた地があることを知り、これで、箱舟を必要とせずに生活でき、繁殖できるということが分かったのである。では、この聖句は、何を意味しているのか。そこには、人が堕落した時のことから、全ての人々を復帰するまでの過程が示されているのである。
最初のハトは、堕落したアダムを象徴していた。ノアが、そのハトを手を伸べて引き入れたというのは、神様が、アダムの霊(生霊体)を取り上げられたということである。つまり、ハトが帰ってきたその箱舟は、天を表していた。箱舟が上中下の三層になっていたのは、天の三層に基因していたのである。
次のハトは、第二アダムであるイエスを象徴していた。そのハトが、オリブの若葉だけをくわえて帰ってきたのは、イエスが、アダムの霊を受けて、この地に来られ、生命を繁殖し、み旨を成就しようとされるが、地はイエスを受け入れることができないため、基盤のみを成就し、再臨することになるということである。
その次の帰ってこなかったハトは、再臨主を象徴し、み旨を完全に成就させるということを表している。このように、三段階になっているのは、蘇生、長成、完成という段階を経て、復帰を果たすという創造原理を基準としたからであり、7日の間隔を置いているのは、1回で完成できなかったため、天地創造の7日間を表す意味で、その日数を延長したからである。これは、神様によって、み旨が成就できないということではなく、地がみ旨を受け入れなければ、三次まで延長されるということを示されたのである。
ノアが、三度目にハトを放つことによって、地上で生活できることを知ったということは、神様も、第三アダムである再臨主によって、地上で生活できるようになるということである。
ノアが、神様のみ旨を成就させなければならない立場であったことは言うまでもない。神様は、ノアを第二の人間の祖先として、その血統を子孫に継がせようとされたが、そのみ旨はどのようになったのか。創世記9章20節から25節には、次のように記されている。
さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、彼は言った。「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える。」
カナンの父ハムの行動は、良い行動のようであるが、それが何故、み旨に反するものであったのか。それは、その行動に、堕落したエバの本質が現れていたからである。サタンは、これを証拠として、自分の血統が残っていることを神様に指摘した。こうして、サタンは、ハムを通して、再び侵入したのである。
洪水審判によって、サタン側の存在を全て清算しても、サタンに侵入されたのは、まだ、サタン自体を追放できるかどうかという問題が残されていたからである。それゆえ、40日の期間が過ぎた後の摂理の始まりには、常に、このような問題が生じるのである。
結局、洪水審判は、み意通りの結果にはならず、第二次としての出発どころか、それとは逆に、審判をする前の出発点に戻ってしまった。そのため、神様は、新たに出発するための条件を、再び探し出さなければならなかった。
20-3 失敗した40日を清算するために摂理は400年延長された
洪水審判は40日間であったが、この期間の目的は、サタン側の存在を全滅させることであった。それゆえ、この期間は、み旨を出発するための基本的な期間であったと言える。しかし、ハムによって、再びサタンが侵入したため、この40日という期間が全て無意味になってしまい、結局、サタン追放の目的を果たすことができなかった。つまり、40日の洪水審判は、効果が無かったのである。このように、40日の洪水審判が失敗したため、み旨を新たに出発するためには、この40日を清算するための条件を立てなければならなかった。そのため、神様は、400年延長されたのである。それは、この期間でサタンを分立し、摂理上の人物の血統に、サタンが侵入した痕跡を残さないようにするためであった。
この400年というのは、洪水審判の日数を基本とした40数によるものである。神様は、失敗した40日を清算して、再び目的を果たしたかったが、40日をもっても、40年をもっても、清算できないという理由で、400年とされたのである。
ノアは、第二の人間の祖先として、信仰の基礎を築いたが、その400年後に、アブラハムもまた、信仰を立てなければならなかった。それは、アダムが不信によって堕落したため、信仰を立ててこそ、サタンに対抗することができたからである。つまり、アブラハムは、ノアの信仰を継承し、それを完成するために選ばれたのである。ここに、アブラハムが、「信仰の父」と呼ばれるようになった理由がある。
神様は、アブラハムから新たに、み旨を始めようとされた。そのアブラハムが、神様に対して信仰を立てるまでには、どのような路程があったのか。アブラハムは、カナンが凶年に当たったため、やむを得ずエジプトに向かうことにした。しかし、アブラハムの妻であるサラが美しく、その妻を奪うために自分が殺されるかも知れないと思い心配していた。そのため、サラを自分の妹であることにして、エジプトに入ったのである。このように、サラが、アブラハムの妻でありなから、妹の立場となったのは、アダムとエバの関係を表すためであった。
エジプトは、サタンを象徴する国であった。その国王のパロは、サラを自分の妻にしようとした。しかし、パロは、アブラハムに財物を与えサラを返した。これは、神様がそのようにされたのである。このようなアブラハムの路程の中で、一番重要なことは、エジプトでサラを取り戻し、その後、カナンの地に帰って、み旨を出発したということである。この事によって、神様もサタンからエバを取り戻し、復帰した地で、み旨成就の基盤を立てられるということを示されたのである。
こうして、アブラハムは、エジプトから持ち帰った財物を元手として、神様のみ旨を成就するための基盤を築いた。その次に、アブラハムは、捕らえられて行った甥のロトを怨讐から取り戻した。アブラハムが、このような路程を歩み終えると、神様は、アブラハムに、最初の条件として、三種の供え物を捧げるよう命じられた。神様は、このために、サタンが貴く思っていたテラの息子アブラハムを奪ったのであり、サタンは、アブラハムの後を付いて行き、アブラハムが何か不従順なことをすれば、彼を取り戻そうとしていたのである。
神様は、アブラハムに、祝福を与えるという約束をされたが、その約束が、三種の供え物によって成立することになっていた。それは、サタンにとって、大きな問題であった。それゆえ、サタンは、アブラハムを巡って、神様に対抗していたのである。
20-4 アブラハムの失敗によって摂理はさらに400年延長された
もし、アブラハムが、神様のみ意通りに供え物を捧げていたならば、摂理は延長されず、400年のエジプト苦役は無かったのであり、神様の責任分担摂理は完了していたのである。結局、アブラハムの路程の目的は、何であったのか。もし、アブラハムが、み旨を完全に成就していれば、40日審判の基本的な目的は果たされ、サタンを根本的に追放して、新しい出発をすることができたのである。しかし、アブラハムの失敗によって、ノアからアブラハムまでの400年による清算が失敗したため、摂理はさらに400年延長され、それが、失敗した400年を清算するための期間とならざるを得なかった。その期間は、ヤコブがエジプトに向けて出発した時から始まった。
こうして、アブラハムの子孫は、400年間の苦役生活をすることになったのである。それは、この上もなく不幸な期間であった。しかし、そのような期間を経てこそ、ノア時代の起点に戻ることができるようになっていたのである。
しかし、その後も、アブラハムの子孫には、復帰すべき40数、即ち、果たされなかった40日審判の目的が残されていた。み旨を成就し、万事を解決するためには、この40数を復帰しなければならなかった。
20-5 延長された400年のためのヤコブの路程
創世記25章20節には、「イサクは40歳の時、パダンアラムのアラムびとベトエルの娘で、アラムびとラバンの妹リベカを妻にめとった」と記されている。神様が、そのようにされたのである。創世記には記されていないが、原理としては、ヤコブがエサウの相続権を奪ったのは、40歳の時であると考えなければならない。創世記26章34節には、「エサウは40歳の時、ヘテびとベエリの娘ユデテとヘテびとエロンの娘バスマテとを妻にめとった」と記されている。当時、イサクは高齢であったため、いつ死ぬか分からなかった。そのため、エサウは妻をめとり、イサクから祝福を受けようとしたのである。従って、ヤコブは、その時、即ち、エサウと同じ40歳の時に、イサクから祝福を受けて、エサウの相続権を奪い、み旨を始めなければならなかった。神様がそのようにされたのは、復帰すべき40数を基本とされたからである。
相続権を奪われたエサウは激怒し、ヤコブを殺そうと考えていた。それを知ったリベカは、ハランにいる兄ラバンのところへ、ヤコブを逃がしたのである。ヤコブは、そこで生活しなければならなかった。それは、神様のみ意によるもので、み旨を果たすための基盤を築くためであった。そこでヤコブに起こったことは、後にイエスが果たすべき使命を表していた。そして、そこからカナン福地に至るまでの路程は、後にイスラエル民族が行くべき路程を表していた。つまり、ヤコブ一代の路程に、神様のみ旨の全てが表されていたのである。
ラバンは、偶像崇拝者であった。(創世記31章19節参照) また、彼は、サタンを象徴する存在として、ヤコブを苦労させ、自己の欲望を満たそうとする者であった。ヤコブは、ハランの生活で得た財産を持って、カナンの地に向かうため、そこを逃げ出したが、ラバンがそれに気づくまで、3日間を要した。つまり、ヤコブには、3日間の自由な期間があった。(創世記31章21節から22節参照) この3日間で、ラバンから得た全ての財産をサタン分立し、所有権を得たのである。ラバンは、3日後になってから、ヤコブの後を追うために、ギレアドの山地に向かった。ヤコブたちに追いついたラバンは、自分の偶像が盗まれたとして、ヤコブを責め、それを探していた。ラケルは、自分が盗んだ偶像をラクダの
ヤコブがカナンに復帰するためには、エサウとの問題を解決しなければならなかったが、カインが弟アベルを殺害したのとは反対に、ヤコブは兄エサウと和解することができたため、この問題は解決されたと見ることができる。もし、その時、エサウがヤコブを怨讐として、対立する立場を取っていたならば、ヤコブがみ旨を成就することは、非常に困難なものとなっていた。しかし、エサウはヤコブを歓迎し、後にエサウも神様に対して従順な者となった。神様は、ヤコブを通してエサウを復帰されたように、間接的に復帰するという手本を作られたのである。
こうして、ヤコブは、カナンの地に入ることができた。カナンの地で、エサウの子孫と対立することもなく、ヤコブがそこで得た土地を所有し続けることができたのは、エサウがヤコブを歓迎したという事実があったからである。このようなヤコブのカナン復帰路程は、イスラエル民族がエジプトからカナン福地に至るまでの手本となった。
我々から見れば、アブラハム、イサク、ヤコブと延長されたのは、残念な事であったと言わざるを得ない。ところで、アブラハムの供え物の失敗が清算されたのは、いつであったのか。それは、ヤコブの家族が、ラバンから得た財産を持って、パダンアラム(ハラン)からカナンの地に帰ってきた後である。では、アブラハム、イサク、ヤコブの三代は、何を意味するのか。それは、神様がアブラハムに求められた三種の供え物を意味していたのであり、それらが、蘇生、長成、完成という三段階になっていることを示されたのである。もし、アブラハムが、み意通りに供え物を捧げていたならば、三代を要することはなかった。アブラハムの失敗によって、三代をかけて、み旨が成就したのは、み旨を一代で成就できなかった場合に、三代、即ち、三段階で成就するということを、神様が示されたのである。こうして、アブラハムはアダムの象徴、イサクはイエスの象徴、ヤコブは再臨主の象徴となった。イエスは、イサクのような立場であったため、人々がイエスを信じ、み旨を立てていたならば、イエスは十字架にかかることなく、ヤコブのような立場である再臨主に、み旨をつなげることができるようになっていた。イサクが死を免れたのは、アブラハムの決意によって、み旨を立てることができたからである。しかし、アブラハムの失敗と、モーセの失敗とが、イエスの十字架に関係することになったのである。
アブラハムの三種の供え物は、神様の摂理を表していたが、その供え物がヤコブによって復帰されたため、摂理が展開されたのである。つまり、ヤコブが一代でカナンに復帰したことによって、供え物の失敗が清算されたため、400年路程が展開され、ヤコブはエジプトに向けて出発したのである。
創世記50章2節から3節には、ヤコブの死後、その遺体に40日かけて防腐剤を塗ったことが記されている。それは、ヤコブの死が、40日審判を受けた者と同じ死ではなく、神様のみ意として、40日を全うした上での死であることを表すためである。この40日というのは、サタン追放期間であり、生命蘇生期間でもある。
20-6 ヤコブに二人の妻がいる理由
ヤコブには、二人の妻、レアとラケルがいた。それには、どのような意味があるのかと言えば、み旨の中に、神様の二女性、即ち、ヤコブが望まなかったレア的な女性と、ヤコブが望んだラケル的な女性がいることを示されたのである。ラバンの思いを成したレアは、最初に堕落した根本のエバを表している。それゆえ、レアが、根本のエバの失ったものを取り戻すべき根本的な女性なのである。
ラバンは、まず、レアをヤコブに与えた。そして、7日の期間が過ぎると、さらにラケルも妻として与えた。(創世記29章28節参照) この7日は、ノアがハトを放った間隔であり、また、創造の日数でもある。こうして、ヤコブは望みが叶い、カナンの地へ出発することができた。
ヤコブがレアを受け入れたのは、神様が根本のエバを復帰しようとされていたからであり、また、レアの子とラケルの子によって、全ての人々を復帰しなければならなかったからであり、さらに、ヤコブがラバンに騙され、2回目で目的を果たしたように、イエスも人々の不信によって、2回目でみ旨が成就するということを示されたのである。そして、ラバンが偶像を取り戻しに来た時、ラケルがヤコブ側に立って対応したのは、ラケルのような姿勢をとってこそ、後に神様のみ旨が成就するということを、神様が示されたのである。もし、ラケルが、父に偶像を見せていたならば、ヤコブは、み旨を成就することができなかったのである。こうして、ラケルのように、夫と一つになった第二のエバによって、サタンを屈服させて勝利し、み旨を成就するのである。
20-7 モーセからイエスまでの路程は40数復帰のため
神様のみ旨は、旧約の摂理に全て示され、それが、後の摂理の基本となっている。その旧約の摂理は、ヤコブからではなく、モーセから始まった。モーセは、ヤコブのカナン復帰を、民族的に果たさなければならなかった。つまり、モーセは、ヤコブのみ旨を継承して、旧約の摂理路程を出発したのである。それが、出エジプトの路程であった。このモーセの路程は、イエスの路程の手本となった。
摂理の根本的な目的は、洪水審判の40日を完全に復帰することであった。しかし、この復帰が難しいものとなり、摂理を延長せざるを得なかったのは、人々が神様のみ旨を
ノアの後、神様の選ばれた民族が、再びサタンに奪われてしまった。それゆえ、神様は、モーセがエジプトのパロ宮中で成長するようにされ、サタンに奪われた民族を取り戻すための路程を立てられたのである。モーセが、パロ宮中に来て40年が経った時、つまり、そこで40歳になった時、同胞を助けようとエジプト人を討ったため、モーセはパロ宮中を出ざるを得なかった。(使徒行伝7章23節から29節参照) このように、40歳で、神様の民族としてパロ宮中を出たのは、40数を基本として出発するためであった。
神様のみ
神様は、モーセがパロ宮中を出てから、さらに40年の期間を置いて、摂理を始められた。つまり、モーセが、エジプトのパロのところに行ったのは80歳の時である。(出エジプト記7章7節参照) このように、40年の経過があったのは、40日の洪水審判の失敗を、40数によって清算するためであった。つまり、モーセが80歳でエジプトを再出発し、カナンを目指すことができたのは、洪水審判の40日を清算することができたからである。それまでの40年、即ち、40歳から80歳までの期間は、摂理の準備期間でもあった。
モーセと共にエジプトを出発したイスラエル民族は、洪水審判の40日の復帰、即ち、サタン分立を果たし、サタンを追放しなければならなかった。何故なら、それを果たしてこそ、洪水審判の目的を果たした神様の民族だと言うことができるからである。それゆえ、モーセは、シナイ山に登り、40日40夜の断食をして、み
モーセがシナイ山にいる間、イスラエル民族が神様のみ言を信奉していたならば、み旨は成就していたのである。しかし、それができなかったため、40日の復帰を果たせなくなり、イスラエル民族は、再び40日の路程を行かざるを得なくなった。このように、40数の復帰が未完遂であるということは、再創造による復帰が未完遂であるということである。
イスラエル民族が、カナンの地を目前にした時、偵察隊が行って偵察した日数が40日であった。この偵察によって勝利を信じ、カナンに入っていたならば、み言を信奉することのできなかった40日を清算することができた。しかし、勝利を信じることができなかったため、荒野40年の苦難が始まったのである。(民数記14章30節から34節参照) 勝利を不信した者たちは荒野で死亡し、結局、カナンに入ることができなかった。この荒野40年の路程によって、偵察期間の40日を清算することはできたが、まだ、シナイでの40日の清算が残されていたため、サタンは、なお侵入して、神様の全ての目的を破壊しようとしていた。そのため、神様は、エリヤを立てられたのである。
エリヤは、サタン側の預言者を全滅させるための中心的な存在として、神様と共にあった。そして、バアルとアシラの預言者800人余りを滅ぼし、40日40夜をかけて、ホレブ山まで行ったのである。この40日の期間は、シナイでの40日を清算するためであった。こうして、エリヤによって、洪水審判の40日が完全に清算された。エリヤは、神様が基本から出発することのできる基盤を立てたのである。
しかし、洪水審判の40日の復帰、即ち、サタンを分立して追放する目的は、まだ、果たされていなかった。そのため、それを果たすための期間として、アダムから4千年となるイエスの時まで(モーセから1600年)延長されたのである。その時まで、サタンは活動することができるため、神様はエリヤを送られ、サタン側の預言者を滅ぼし、み旨が成就することを示されたのである。
洗礼ヨハネは、エリヤの使命を継承し、サタン側の存在を滅ぼさなければならなかった。しかし、その使命を果たすことができなかったため、その失敗に対する4千年の清算が、イエスの課題として残されてしまった。これが、イエスの荒野生活における40日の断食期間であった。イエスが、これを完遂することによって(ルカによる福音書4章13節参照)、4千年は清算され、洪水審判の目的を果たすための基盤が立てられたのである。
その目的を果たすためには、人々がイエスと一つにならなければならなかった。しかし、それが、できなかったため、十字架によって、その目的を果たし、サタンに勝利せざるを得なくなったのである。イエスは、十字架にかかり、敗北したかのように見えたが、復活から昇天までの40日をもって、40数を復帰することができたため、サタンはイエスの前から完全に追放された。こうして、洪水審判の目的が果たされ、復帰摂理を完成させるための基盤が築かれたため、イエスは栄光の座に着かれたのである。
洪水審判40日復帰路程
