17 神様の摂理から見た人類歴史

17-1 人類歴史の数理性

サタンの侵入によって、全ての地は汚され、神様が創造された世界は、みこころに反する悪の世界となった。そのため、神様は、世界を復帰するための原理を展開されたのである。それが、ノアの時の洪水審判であった。神様は、この審判によって、悪を清算し、再出発しようとされた。しかし、ノアの息子であるハムの過ちによって、再びサタンに侵入されたのである。

そのため、神様は、出発の基台として、アブラハムを選ばれ、そこからみ旨を始めることにされた。アダムからアブラハムに至るまで、約2千年の期間を要した。アブラハムの使命は、サタンの侵入によって汚れてしまった全てを清めることであった。もし、アブラハムが、供え物に失敗しなければ、その時から、神様の復帰摂理の基盤を築き、アダムの時よりも、さらに理想的に、歴史を始めることができたのである。しかし、アブラハムが、供え物に失敗したため、イスラエル民族は、エジプト苦役400年をもって、その失敗の代価を支払うことになった。

では、この400年という年数には、どのような意味があるのか。この根本的な意味を知らなければならない。神様のみ意は、サタンに汚された基盤の上で、み旨を始めることではなかった。それゆえ、神様は、ノアから始めようとされた摂理を、アブラハムの時まで延長し、アブラハムを信仰の父にしようとされたのである。つまり、神様がこのように延長されたのは、アブラハムをノアの継承者にするためであった。ノアからアブラハムまでの期間は、約400年である。神様がアブラハムを選ばれたのは、サタンを分立するためであったが、アブラハムが供え物に失敗し、サタンが息子に侵入したため、アブラハムは、神様が延長された400年の期間を汚した立場となってしまった。そのため、その期間を清算しなければならなかったのである。それが、エジプト苦役400年であった。神様は、この400年が満ちることを待ち望んでおられたが、その期間が満ちたため、モーセを立て、蘇生の過程であるエジプトからカナンまでの復帰路程へと移行されたのである。そして、さらに約1600年が経過し、イエスが来られた。この1600年という期間は、アダムからノアまでの期間である。神様は、このようにして、イエスの時代までに、イスラエル民族によって、期間的な清算をされたのである。

アダムからアブラハムまでの約2千年は、サタンの侵入によって、汚れていく経過をたどっていたが、もし、アブラハムが供え物に失敗しなければ、このような期間は、そこで終わるはずであった。しかし、再びサタンが侵入して、洪水審判を受ける前と同じような状態になってしまったため、ヤコブからモーセまでの400年と、モーセ以降の1600年が、清算の期間として、無念にも延長されたのである。

こうして、ヤコブから2千年後にイエスが来られ、旧約時代が終ると同時に、新約時代となり、イエスの責任分担摂理路程が始まった。しかし、イエスは、十字架の道を行かざるを得なくなった。

ノアからアブラハムまでの400年は、延長期間として、ノア以前のように、神様がサタンの活動に干渉できない期間であった。そのため、人々は、歴史を通して、罪を重ねてきたのである。その結果、サタンは、イエスの肉身を取るに至った。これで、サタンの条件は清算されたのである。このようなイエスの時代から、今の時代までの期間が、約2千年である。

人類歴史の数理性

このイエス以降の2千年は、聖徒たちが一つになり、サタンと悪に対して、歴史的な清算をする期間であった。この2千年においても、ノアからアブラハムまでの400年のように、神様がサタンの活動に干渉できない期間があった。この期間、神様は、人々に自由を与え、干渉されなかったため、イエスを信じる聖徒たちも、サタンに対して自由権を行使し、更なる自由向上のための理念を掲げることができたのである。それは、今から約400年前に始まった。このような期間があったのは、サタンに奪われたノアからアブラハムまでの400年を復帰するためであった。

それゆえ、この400年の間に、キリスト教を中心とする国々と支配層の歴史が始まったのである。現在の英国と米国が、この期間内で発展した代表的な国家である。この英米を中心とする国々は、サタン側に勝利することのできる勢力を固めながら、神様の直接主管を受けることができるようになった。そして、それらの国々は同盟を結び、経済的にも、また科学的にも発展しながら、神様のみ意を示してきたのである。


17-2 キリスト教は中心的な宗教

人類歴史は、神様の摂理によって展開されてきたため、聖書なしには語ることができない。神様は、地上に送られたイエスを中心として、摂理を進めようとされた。つまり、イエスを地上に送らなければ、摂理を進めることができなかったのである。こうして、神様を中心とするキリスト教の発展は、歴史の中心的な流れとなった。それゆえ、神様を中心としない国家は敗れてきたのである。

このように、最も中心的な宗教はキリスト教であるが、どの宗教であっても、最終的には、神様につながるのである。それゆえ、神様は、人と一つになるために、宗教を通して摂理される。こうして、世界が、神様を中心として一つになれば、誰もが神様を離れて生きることができないようになる。それゆえ、全てが神様につながっているという究極の事実を明らかにすれば、宗教の統一はできるのである。

キリスト教は、神様直属の政府のようなものであり、他の宗教は、社会団体のようなものである。このように、様々な宗教が存在するのは、それらが全て一つになることによって、神様の目的が果たされるようになっているからである。こうして、宗教は、その役目を終えることになるのである。

もし、人が堕落しなければ、宗教の問題は無かったのであり、み旨通りに生活していれば、そこが天国となっていたのである。それが、本来の原理であった。従って、将来の理想世界に、宗教は必要ない。つまり、原理によって生きることが救いとなる理想の時代が来るのである。


17-3 本物が現れる前に偽物が現れる

歴史はサタンが先行するため、この世では、本物が現れる前に偽物が現れる。その偽物を、よく考えずに、本物だと判断する者がいる。このような愚か者が、後に言い逃れをしようとするのは、人が堕落した存在であることを表している。この世で真理だと思われているものの中に、偽物がある。それは、真理ではないことを知らなければならない。

このような傾向が現れるのは、サタンの工作が、摂理の内部にまで及んでいるからである。そのため、本物が、本物のような偽物の犠牲になるということが多く見られた。例を挙げれば、イエスは、その当時、否定されていたのであり、律法学者やパリサイ人たちの方が正しいと思われていたのである。それゆえに、真理の本体であるイエスが、十字架にかけられたのではなかったのか。真理は最後に勝利するが、歴史が過ぎてから、その事実を知っても、何になると言うのか。この世で多くの虐待を受けているところには、本物が存在する。それは、原理を調べても、また、歴史を見ても分かるのである。


17-4 両極の主義が一つになるべき理由

今、世界では、極と極の二つの陣営が対立している。それは、世界の人々が、神様側とサタン側に分かれているため、避けられないことなのである。このような、神様側とサタン側の対立が、唯心論と唯物論の対立として現れ、互いに全てを所有しようとしている。しかし、この相反あいはんする二つの主義は、神様を中心として、一つにならなければならない。つまり、全てが神様に属して、一つになる時が必ず来るのであり、その時、サタンは、必ず滅びるのである。

人類歴史は、理想を目指して動いてきた。その6千年の結実である今この時に、こうして相反する二つの陣営が現れている。それらは、摂理路程を通して現れざるを得なかったが、目指すべき理想は真理の世界であるため、歴史は、その方向へと向かっていく。そして、真理の世界が実現するまでの過程は、蘇生時代、長成時代、完成時代という三段階の時代を経ていく摂理的な発展史となるのである。

また、二つの陣営が現れるまでに、様々な主義者が現れた。彼らは、ある時代における蘇生的な役割、或いは長成的な役割を果たしてきた。では、真理を主張するのは、どちらの人々なのか。それは、神様側に属している人々である。

真理は、唯一、永遠、不変である。それゆえ、神様を中心とする理想の真理世界とは、唯一、永遠、不変の主義を持った世界である。このような世界となれば、我々は、創造本然の原理世界に帰ることになる。それは、神様と共にある永遠の世界へ向かうということである。


17-5 戦争の意義

サタンに属していた痕跡を無くしてこそ、サタンの侵入を防ぐことができるため、この世の戦争は、サタンの痕跡を無くすために、繰り返されてきたのである。それゆえ、人類歴史は、戦争の歴史とならざるを得なかったのである。つまり、人類歴史は、神様とサタンが、繰り返し戦ってきたことを示している。

ところで、この世では、常にサタン側が先に主権を取って発展してきた。それに対し、神様側は、サタン側と対立することによって、主権を復帰してきたのである。人々が神様側に立てば、悪の主権は破れ、新しい主権が現れる。これを繰り返すことで、悪が取り除かれ、善が勝利するようになるのである。それゆえ、歴史の過程は、悪を清算する過程であると言うことができる。つまり、悪を取り除きながら、善の基盤を固めてきたのが人類歴史である。こうして、世界は善の主権となり、神様のみ旨が成就されるのである。

もし、この世の人々が、神様のみ旨に従っていれば、戦争は不要であった。しかし、人の堕落によって、このような終末論的な悲しい歴史となったのである。


17-6 戦争は必ず終局を迎える

神様側に属して発展してきた国家が、最終的に、サタン側の国家に敗れるということは有り得ない。一方、サタン側の国家は、たとえ発展してきたとしても、いずれ転覆するようになっている。神様は、このようにして、人々が自覚できるように、摂理されるのである。

ところが、今まで人々は、このような神様の摂理を知らず、神様に反逆してきたため、審判を受けてきたのである。このような歴史を見るときに、我々は、天に対して、言葉にもならないほどの申し訳ない思いを抱かなければならない。しかし、このような思いを抱いた歴史家が何人いただろうか。人類歴史の足跡そくせきには、神様の悲しみが現れているのである。

神様が、人々に対して摂理を展開すれば、サタンは、それを破壊するための工作を行い、逆に、サタンが、人々を導こうとすれば、神様は、それを破壊するための工作をされた。つまり、互いに、反対方向の工作をしてきたのである。それゆえ、人類歴史は、始まれば終わり、終われば始まるということを、長い間繰り返してきた。これは、人々の間でも同様である。善人が現れれば、悪人が立ち上がって善人を破り、悪人が現れれば、善人が立ち上がって悪人を破る。このような事を繰り返してきたのである。個人、社会、国家、世界は、このような原理によって発展してきた。こうして、神様が全てを取り戻したとき、戦争は必然的に終局を迎えるのである。

歴史の流れは、戦争の無い平和な時代へと向かっている。その時代は、人類が兄弟として、世界が一つになる時代である。そのような時代が来れば、み旨成就のための基盤が完成していく時期に入ったということが分かる。神様は、人を最後まで放棄されず、み旨成就に向かって摂理される。


17-7 最後は善なる人々が勝つ

人類歴史は、人だけで発展してきたのではない。神様との関係があったからこそ、発展することができたのであり、神様と人は、共に喜ぶことができるのである。それゆえ、神様は、不信仰、不従順、不奉仕である人々に対しては、終焉しゅうえんの時を定めて、必ず、その悪を清算され、最後には、善なる人々が勝つようにされる。たとえ神様に属していた人々であっても、サタンに従うようになれば、いかに発展してきたとしても、終わりを迎えることになる。それでも、神様は、人々が神様側に立って、悪の汚れを拭い去れば、再び摂理を始められるのである。

サタンは、我々人間を手放さないように悪事を働いてきた。サタンが完全に敗北すれば、善主権の時代が始まる。その時は、善なる人々、また、み旨に合致する人々が、世に認められる時代となる。それが、理想の時代である。

もし、人類歴史がキリスト教とは関係がなく、また、み旨成就の方向に向かっていなければ、神様はいないと結論付けることもできる。しかし、神様が居られるため、人類歴史は、神様の主管のもとで、み旨成就に向けて発展してきたのである。


17-8 世界大戦におけるサタン側の中心人物たち

このような歴史を通して、神様を中心とする国家体系が確立し、サタン側の国家に対抗することができるようになった。その第一次として、ドイツを破ったのである。この時、世界大戦という名のもとに、第一次の神様のみ旨が成就したのである。

サタンは、神様の計画を真似て、それを神様よりも先に展開してきた。それゆえ、サタンは、世界を統治することのできる王を、神様よりも先に立てようとしたのである。こうして現れた存在が、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世であった。サタンは、彼を通して、世界を自分の手中に収めようと考え、第一次世界大戦を招いたのである。このような存在が現れたのは、神様も世界的な王を準備して、地上に送る予定があることを示している。

神様は、第一次世界大戦に勝利し、全世界に対する勝利への第一歩を踏み出すことができた。この勝利を基盤として、神様側の王は、既に、地上に誕生されているのである。

サタンは、アダムを堕落させ、さらに、第二アダムであるイエスの肉身を奪い、遂には、ヴィルヘルム2世を立てるに至った。つまり、サタンは、神様の計画の真似をして、彼をアダムのような存在としたのである。しかし、神様は、サタンがアダムを堕落させたことに対する復讐として、ヴィルヘルム2世を敗北させた。

ところが、神様は、第二次世界大戦までのわずか20年余りの間に、再びドイツを発展させた。その理由は、神様が、第二アダムであるイエスの肉身までもサタンに奪われたため、ヴィルヘルム2世の次に現れる者を復讐の対象として、その存在を敗北させようとされたからである。その存在というのが、ドイツのヒトラーであった。

ヒトラーは、日本とイタリアとの間で三国同盟を締結した。その同盟国の中で、ドイツは男性的な国家であり、日本は女性的な国家であり、イタリアは天使長的な国家であった。

また、日本は、女神めがみ国家でもあった。このように、神様と人が共にあって、国家を成すことが、理想となっていたのである。将来、神様側がサタン側を完全に破れば、神様を中心とする世界が実現することになる。それは、神様と人が共にある国家を築いていくことから始まるのである。

ところで、ヒトラーに関しては、イエスと同様に、墓の存在や、独身であったのかどうかという事さえもよく分かっていない。このように、神様は、復讐とも言える清算をしながら、み旨の路程を展開してこられたのである。

サタンは、第二次においても敗北したが、後にソ連を始めとして、その支援国家と共に、共産主義という国家体系をもって現れ、世界を左右する存在となっていった。こうして、サタンは、第三次で決着をつけようと、再臨主の権限を持っているかのような存在を立てたのである。それが、ソ連のスターリンであった。しかし、彼は、約30年間のソ連支配の末、結局は敗北することになる。何故なら、それが原理となっているからである。(この本文の元になった原理原本は1951年から1952年に執筆された。スターリンがソ連の最高指導者の任期を終えたのは1953年のことである。)


17-9 第三次世界大戦の時に新しい主義が現れる

では、第三次世界大戦は、始まるのだろうか。それは、既に始まっている。(ここで第三次世界大戦とは朝鮮戦争のことであり、原理原本は、この朝鮮戦争の最中さなかに執筆された。) 第三次世界大戦からは、国際連合を中心として、神様のみ旨が進められている。サタンは、未だに未練を持ち、自分の野望を果たそうとしているため、偽りの本性ほんしょうを、そのまま露呈しているのである。

まさに、この時代が、再臨成就時代である。それゆえ、今までのような主義とは異なる新しい主義が現れなければならない。この主義は、創造本然の理想的な主義であり、天と地が一つになる主義であり、唯一、永遠、不変の主義である。そして、第三次世界大戦が終れば、二度と世界大戦の起こらない時代が始まるのである。


17-10 第三次世界大戦は韓国で必然的に起こった

こうして、三次にわたる世界大戦が、近40年内に始まったということは、この40年内に、再臨主が来られたということである。つまり、この時期に、天のみ旨を成就させることのできる再臨主が現れる。その方は、今まで成就できなかった天のみ旨を、全て成就させる方である。

この三次にわたる世界大戦の期間というのは、人類歴史における失敗の全てを、サタン側の第一アダム格、第二アダム格、第三アダム格を通して清算する期間であり、また、世界の国々と人々が、共に神様のみ旨を成就させるための基盤を固める期間である。

では、何故、第三次世界大戦が起こらなければならなかったのか。サタンは、偽りと背信者の父であり、破壊者の父である。そして、いつでも、その暴悪性を現し、最後まで悪事を働くが、結局は敗北することになる。そして今は、偽りの第三アダム格を地球から追放すると同時に、真の第三アダムである再臨主を迎える時期に入っている。それゆえ、第三次世界大戦が起こったのである。

今、第三次世界大戦が起こっているということは、世界が羊とヤギのように分けられ、審判の段階に入っているということである。このような時において、再臨主の年齢は30余りであり、既に青年として、この世に来られているということを知らなければならない。

以上のように、神様は、世界大戦によって、サタンに対抗しようとされた。それゆえ、再臨主が来られた国から、第三次世界大戦が始まったのである。その国を中心として、世界の国々が戦っているのは、そこが、全ての善悪の中心であり、全てを解決するための中心であり、天においても中心となっているからである。つまり、第三次世界大戦の中心地が韓国であるということは、韓国人の中に、再臨主が来られたということである。

韓国は、地上の問題国であり、信仰界でも問題国であるが、我々は、その事実の深い意味を知らなければならない。しかし、こうして、神様のみ旨成就の時が来ているということには感謝すべきである。韓国が摂理の中心地になるということは、韓国の歴史的予言書である鄭鑑録ていかんろくにも明白に記録されている。その予言書には、義の王が来られるということが予言されている。その方が誰なのかと言えば、第三アダム、即ち、再臨主であるというのが結論である。そして、その方の摂理が展開されるということを知らなければならない。

こうして、アダムの時とノアの時を兼ねたこの時代に、根本的な復帰の目的を達成するのである。このような意味で、歴史というのは、元の時点に帰って発展していくものであり、今が、その過程であると言うことができる。また、この世界に、共産主義国家陣営が現れたのは、神様の摂理が、元の時代に帰るような原理となっているからである。(これについては後述を参照のこと) このように、歴史は、ある起点に向かって流れてきたのである。


17-11 悪が善に勝利してきた理由

本来、歴史上に、悪があってはならなかった。しかし、悪が生じたことによって、人類は、悪の主権下で出発せざるを得なかった。つまり、人類は、悪の主権の圏内にいたのである。

人類歴史は、悪の主権に属していたため、勝利を享受してきたのは、悪人の方であった。つまり、善人は、歴史を通して、悪人に負けてきたのであり、そのような制圧を避けることのできない原理的段階を通過せざるを得なかったのである。しかし、神様は、サタンが出発した後を追って、奪われた経路を取り戻してこられた。こうして、全ての経路を取り戻してこそ、悪は敗北するのである。

このように、神様は、歴史を通して、サタンから主権を奪うために、後続の態勢をとってこられた。それゆえ、再臨のイエスが来られ、サタンに勝利するまでは、悪の支配下で、善人が犠牲とならざるを得ないのである。善人が、どの時代においても、世に認められることがなかったのは、そのためである。

人類歴史を見れば、世界のどの階級においても、悪人が高い地位を占めてきた。先にサタンが、才能のある人々と、財のある国家を中心として主権を取ってきたからである。そのため、神様は、それに対峙する国を立て、サタンから主権を奪い、サタンの目的達成を封じられたのである。それが、第一次世界大戦であった。

次の第二次世界大戦でも、神様が勝利された。その後、サタンは、地上で再び特定階級の人々を得ようとしたが、上の階級の人々は、既に神様に取られたため、やむを得ず労働者や農民を取り、神様と対峙することになった。こうして現れたのが共産主義であり、これがサタンの終着点となるのである。つまり、サタンは、再び神様に人々を奪われたならば、行き場の無いところへと追放されることになる。そうなれば、それまでサタンに仕えてきた人々は、神様に仕えるようになる。サタンが、それを遮ろうと宣布したのが、神様は存在しないとする唯物思想である。この思想によって、神様の存在は否定されるが、同時にサタン自身の存在も否定されることになるのである。

このように、サタンは、神様に対して執拗に対抗し、様々な手段で、人類歴史を掌握してきた。その本部であるソ連は、当然のごとく、この地球上では許されない怨讐の国家となる。神様まで存在しないとして、人々の道を遮ろうとするこの唯物思想が、どうして許されるだろうか。

どの時代においても、サタンの主権によって勝ってきた者たちは、その大部分が、サタンの考え方に従ってきた者たちである。このような悪の支配圏内にいたため、善人が認められてこなかったのである。


17-12 善と義と良心主義の時代が来る

今後は、善人が世に認められる時代、即ち、神様の主権によって主管される時代となる。それは、歴史の起点からの出発であり、また、人々が最も求めていた理想的な時代の始まりである。こうして、善は、最後に勝利するのである。このような歴史を通して、人々は、善が義であることを体得するようになる。

良心的な人々を中心とする世界は、誰もが求めている世界である。階級が問題ではなく、良心的な人々が、世に認められる世界とならなければならない。それは、既に、再臨主の時代に入っているからである。イエスは、「貧しい人々は福音を聞かされている」(マタイによる福音書11章5節)と言われたが、それは、悪人に苦しめられていた善人が、貧しい生活を送っていたため、貧しい人々に福音を伝えられたということである。このような善人たちの基盤があったからこそ、現在のような成長があったのである。

しかし、これからは、裕福な人々も天の側となる。こうして、神様は、良心的な人々の自由と権限を、悪の側から取り戻しながら、人と万物を全て取り戻すという目的を成就されるのである。神様は、この基盤によって、良心的な人々の地位を高め、どの時代の人々にも劣らず、世に認めさせようとされる。そのような時代が、我々の理想の時代である。

神様は、戦争の歴史を通して、6千年の苦痛から解放されることになる。つまり、サタンに対抗するための国家的な戦争は義とされるのである。しかし、個人的な争いは罪となる。個人的に奪い、また、殺すことを罪とされたのは、サタンの侵入を防ごうとするためである。これは、矛盾しているようであるが、原理によって、そのようになっているのである。

目的に向かってこそ、発展するのであるが、人々は、以上のような根本的なみ旨を知らなかったために、今まで苦しみながら、無知で目的の無い者のように、ただ生きてきたのである。ところで、このような人生を送ることになったのは、誰の仕業なのか。それは言うまでもなく、全てサタンの仕業である。この事実を知った人々は、本格的に神様の根本目的に向かい、何も惜しまず、み旨を信奉しなければならない。それゆえ、み旨に反対する者は、社会的にも、家庭的にも、個人的にも、どこにおいても、人々から叱責されることになる。このような時代、即ち、善の側に立ってこそ進歩し、世に認められる時代が、理想的な良心主義時代である。


17-13 堕落前の時代に帰ることが復帰摂理の目的

人の堕落によって、人類歴史上に、対峙せざるを得ない二つの陣営が現れた。神様は、原理世界の理想を取り戻そうとされ、サタンは、非原理世界をそのまま維持しようとしてきた。それは、人類歴史の始まりから続いてきたことであり、それぞれの陣営は、別々の目的に向かっていたのである。

非原理的な存在であるサタンは、非原理的な人だけを奪ってきた。神様は、人の生命と愛と理想の根本であり、人は、そのような神様と一つになることが最高の目的である。それを果たすためには、人が、信従、順従、侍従じじゅうの立場に立たなければならない。こうして、人が、原理的な立場に立ち、神様と一つになれば、サタンは、そのような原理的な存在を主管することができないのである。それが、人類に対する摂理であり、その目的は、サタンを分立することにある。つまり、神様が取り戻そうとされているのは、堕落前の時代であり、そのために、神様は、堕落した人類を天の側に復帰しようとしてこられたのである。その基盤を築いたのが、旧約時代であった。こうして、人類を復帰し、直接主管を成就することが、神様の目的となった。

このように、神様の摂理は、蘇生の時代である旧約時代から始まった。この蘇生の基盤の上にイエスが来られ、神様の復帰目的を果たそうとされた。しかし、その目的は、長成の部分のみが果たされ、完成の部分は残されていた。この長成の時代が新約時代であり、完成の時代が再臨主からの時代である。こうして、全天宙が、神様を中心として、復帰を果たさなければならない。

このような歴史を経て、今、再臨主の時代に到達した。それまでの経路をかえりみれば、アダムからノアまでの時代は、神様の復帰摂理前の時代であり、ノア以降は、アブラハム、モーセ、イエスを通して、復帰を果たそうとされた。人類歴史には、そのような経過があったのである。しかし、神様が基準とされている時代は、堕落前のアダムとエバの時代であり、その時代に帰ることを目的として、摂理を展開してこられたのである。


17-14 我々が望むべき理想の社会

では、その時代に帰り、アダムとエバが堕落しなかったならば、どのような社会になっていたのか。それは、神様を中心とする社会になっていたのであり、皆が神様の子女として、互いに兄弟のように過ごす社会になっていた。こうして、皆が、父なる神様のみ旨に従い、生涯を全うしたならば、肉身生活の延長が、皆の理想とする永遠の生活となっていたのである。それが、今、復帰の完成を待ち望んでいる我々の理想であり、世界の人々の理想であり、将来の理想社会である。このような理想によって、天と一つになった理想世界が実現していくということは言うまでもない。つまり、人類が、それを果たすならば、その時代が、アダムとエバが堕落せずに迎えるべきであった理想の時代となるのである。


17-15 現在はどのような時代であるのか

全ての人々が、上記ような理想世界を求めている。そして、その世界に入ることのできる関門の前に到達しようとしている。それが、今の時代の潮流である。それゆえ、世界の発展を見ても、それが、どのような時代に向かっていくのかということを推測することができる。また、世界は、段階的な復帰の過程を通して発展する。つまり、蘇生段階から長成段階へ、長成段階から完成段階へと発展するのである。

では、現在は、どの段階の時代であるのかと言えば、長成段階から完成段階に入る直前の時代であり、それは、アダムとエバが堕落する直前の位置にまで復帰された時代である。また、長成段階におけるこの時代は、キリスト教の国々が互いに協力し、神様を中心とする陣営が完成する時代である。

こうした中で、我々自身が、世界観を持って、果たすべき目的を知ろうとするならば、神様の復帰摂理を知ることが、これから非常に重要となる。つまり、復帰摂理があることを知れば、世界観と目的は、自然に見えてくるのである。


17-16 共同所有の社会

前述のように、アダムとエバが堕落しなかったならば、どこにおいても神様を中心とする社会になっていた。つまり、神様のみ旨を信奉しんぽうする家庭によって、社会が構成されていたのである。

父を中心とする家庭は、一つの体のような存在であり、また、その家庭の兄弟は、一つの血統である。それは正に、差別のない社会だと言える。そこでは、父と心が一つになるように努力していきながら、家族が同じ立場で、様々な物資を共同所有する社会となる。神様のみこころは、世界全体がそのようになり、生活に必要な物資を、よく行き渡るようにすることである。人が堕落しなければ、このような理想世界となっていた。これこそが、俗に言う「理想の共産主義」である。世界が発展していく中において、このような主義が現れたのは、サタンが、その大きな目的を、先に実現しようとしているからである。

イエスは、全世界を、アダムとエバが堕落する前の位置にまで復帰することを目的とし、上述の理想的な主義をもって、み旨を出発されたのである。本来は、神様が創造世界の主人であった。しかし、所有権という言葉が用いられることになったのは、堕落した世界となったからである。つまり、神様は、サタンに属するものを区別するために、人と人の間に、所有権というものを立てられたのである。

家庭においては、父が主人であり、所有者となるが、後には、父の所有は家族の所有となり、家族の所有は自分の所有となる。全てが復帰された世界においては、天の父が主人であるため、全てが天の父の所有となるが、ここで問題は、我々が天の父の本当の子女として復帰されるためには、天の父の体の一部である生霊せいれい体を受けて、天の血統を継承しなければならないということである。こうして、天のみ意を受け継いだ子女は、国境の無い自由な家庭を築き、理想的な生活を始めるようになる。その生活が、そのまま永遠のものとなるため、良心に反する道、即ち、善以外の道を行くことができない。このような世界が、理想世界である。

では、その理想に至るためには、どのような時代を迎えていかなければならないのか。
(1) 神様が天宙の全てを所有する主人に復帰する時代
(2) 人々が根本の父母を迎える時代
(3) 人々が兄弟のようになり共生共義によって大家族を築く時代
(4) 人々が神様の子女となり共に愛し生きる時代


17-17 対立する主義が存在しない世界

次に、我々は、理想世界を目指しながら、何を求めていかなければならないのか。
(1) 個性完成
(2) 自由の理想
(3) 愛の理想
神様を中心として、これらの全てを求めていこうとする世界には、対立する主義というものが存在しない。つまり、根本が一つである共同の世界には、何ら対立するものが無いのである。今までは、真理を求めていく過程であったため、様々な主義が現れ、対立してきたが、今後、世界は、真理通りに展開されていくのである。


17-18 人類歴史における時代的な発展段階

神様が摂理をされてきた6千年の歴史は、あまりにも長かった。その歴史の過程を振り返るに当たって、ここでは、人類歴史における時代的な発展段階を、次のように区分する。
(1) 原始共生主義社会(サタン分立時代)
(2) 氏族、民族、国家(蘇生旧約時代)
(3) 国家、世界(長成新約時代)
(4) 世界、天宙(完成成約時代)

アダム以降の時代は、人々がサタンに侵入され、神様を遠ざけていたため、神様がみ旨を立てようとしても立てることができず、あまりにも希望のない時代であった。そのため、神様は、この時代の期限を定めて、清算するための審判をされた。それが、ノアの時の洪水審判であった。こうして、自由理想世界を実現しようとされたのである。神様は、この目的を果たすために、審判の後、選んだ氏族を中心として、人類を復帰しようとされた。しかし、みこころの通りにならなかったため、アブラハムを選び、そこから、また、サタン分立の工作を始められたのである。このように、アダム、ノア、アブラハムの時代は、サタン分立時代であった。ところで、この時代は、自由営農と自由遊牧の時代であり、社会形態としては、原始共生主義社会であった。この社会は、共同体としての共産主義社会であったとも言える。

その後、神様が、アブラハムの氏族を中心として摂理を始められた時、敵対するサタン側は、既に国家体系を成していた。それゆえ、神様は、アブラハムの氏族によっては、サタン側に対抗することができなかったのである。そのため、神様は、サタン側に対抗することのできる国家を立てようと、アブラハムの子孫を繁殖させ、民族とされた。そして、その民族をサタン側と対立するようにされたのである。

また、アブラハムの氏族は、エジプトでの400年を通して、民族を形成していきながら、サタン側の財物を奪ってきた。それは、そのようにしなければならなかったからである。こうして、民族として、エジプトを出発した後は、神様を中心とする共生主義の生活様式をとっていた。当時、その生活様式に反する者が罰せられたのは、サタンの侵入を防ぐためであった。このようにして、共生主義の生活様式を習慣化させたのは、イスラエル民族がカナンの地に入ったとき、土地などの全ての財物を、共生主義の理念のもとに分配するためであった。このような路程があったのは、その時代が、全世界を復帰する過程において、蘇生段階にあったからである。この蘇生時代に、サタン側に対抗するための国家を形成しなければならなかったため、氏族から民族、民族から国家という段階的な発展を経て、み旨成就のための基礎を固めていったのである。

歴史上には、サタン側の者たちが、神様側の人々を支配下に置いて、虐待するという事実があった。それは、支配される側の人々にとって、奴隷のような生活であった。イスラエル民族がエジプトで奴隷生活をしたことが、その始まりである。

その後、長い歴史を通して、人々を支配して奴隷にするということが、風習のようになってしまった。さらに、このような傾向が、同族間においても、見られるようになったのである。そのため、サタン側の非原理的な人々によって起こされたこのような事が、歴史においては、必然的な事のように思われてきたのである。

この奴隷という風習は、資本の動きにも関係がある。何故なら、戦いに負ければ、奴隷にされただけではなく、資本も取り上げられていたからである。

国家を形成すれば、国家として資本を蓄積するようになるが、そのような資本が、戦いを通して、サタン側の国家に流れるようになった。そして、さらに、その資本の規模を拡大するために、他国を侵略して、世界の全てを手に入れようとしたのである。

神様は、イスラエル民族によって国家を形成し、み旨の基盤を立てられた。その基盤の上に、イエスを送り、み旨を成就しようとされたのである。それゆえ、イエスは、その蘇生の基盤の上で、長成と完成の使命を共に果たそうとされたが、人々が、不信仰、不従順、不奉仕であったため、原理の目的とは異なる国家形態となってしまった。そのため、十字架を通して、その目的に向かわざるを得なかったのである。

こうして、イスラエル民族は、み旨を破壊した民族となったため、選民ではあったが、イエスを殺した罪と、歴史的に犯してきた罪を清算するために、その長い歴史を出発することになった。そのために、イスラエル民族は、各地に散らばり、虐待を受けながら、罪の清算をしてきたが、その期間が満たされたために、イスラエル国が建国されたのである。その直後、イスラエル国は、サタン側の陣営と戦うことになった。これは、歴史上、必然的に起こったのである。

神様側の国家は発展し、資本も自然に膨らむようになった。現在のユダヤ人たちと英米人たちは、本来、神様が主管する民族である。その一方で、サタン側は、徐々に末路に向かっていった。そして、今は、終局を迎えているため、近い将来に、その位置を失うことになる。つまり、サタンを中心とする共産国家は、自然に敗亡する。こうして、長成時代が完成するのである。

共産主義が現れたのは、神様が共生共義主義の理想を持っておられるからである。つまり、原理的に見れば、イエスによる長成時代が終盤に入ったため、共産主義者たちが、先に、共生共義主義の理想に真似て、共産主義の国家を形成したのである。しかし、そのような国家は、いずれ終焉しゅうえんを迎えることになる。本来の共生共義主義による理想世界は、再臨主から始まる完成時代に実現されるのである。このように、歴史は、神様の復帰摂理のもとで動いてきた。この摂理を知れば、将来の理想世界を知ることができるのである。

このように、神様は、共産主義の時代が過ぎた後に、共生共義主義の時代に入るようにされる。これが、今後の目的となる時代である。この時代に、世界は、天と地が一つになる理想の円和世界となる。この円和世界というのは、どこにおいても天と地が和合する世界であり、人々が衝突することのない自由な世界である。神様の目的は、このような世界を実現することにある。これが実現すれば、世界は一つになる。この目的を完成する時代が、再臨主から始まる完成時代である。この時代には、世界大戦というものが起こり得ない。

人々の間に闘争が起こったのは、次の三つの原因からである。
(1) 神様の原理に反する者が存在するため
(2) 人々の間で主義が異なるため
(3) 物質的な面での違いがあるため
このような原因によって、人類歴史が戦争の歴史となったのである。しかし、これからは、原理に反する者も、主義の異なる者もいなくなり、物質的な面での違いも無くなっていく。このようになれば、必然的に、戦争の無い時代となる。では、このような事実を知った我々は、どのようにすべきであろうか。各自が、天のみ旨を果たしていかなければならないが、その前に、永遠の家庭を築かなければならない。

今、世界の人々は、自由を取り戻すために戦っている。そして、自由を取り戻した後には、理想の愛を取り戻し、その後には、個性を尊重し、各自が理想の個性を完成させなければならない。今、世界が、このように動いているということは、み旨成就の方向に向かっているということである。自由諸国の人々であっても、このような事実を知らずにいる。しかし、世界が神様の願われる方向に進んでいることは確かである。こうして、人々は、本来の世界を取り戻すのである。

人には、自由と愛の理想があり、また、理想の個性を完成させるための創造性が与えられている。そして、これらの理想を完成すべき時が近づいている。人は、その復帰路程の上に立っているため、それは必然的に果たされるのである。

自由諸国は、その使命を早く果たすべきである。そして、再臨主から始まる時代に、生活の統一と主義の統一を果たし、さらに、天宙の統一へと向かわなければならない。

一つから始まったものが多数となり、それらがまた一つになって、元の一点に帰る。このような作用を始めることが、創造の根本目的である。この目的に反する者が、どのような者なのかと言えば、永遠の世界を否定する者である。このような者は、刑罰を受けなければならない。


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