14 復活の根本意義
14-1 イエスの復活は信仰者の肉身を復活させるための基台
キリスト教信徒たちは、死者が復活すると信じている。ところで、その復活とは、どのような事であるのか。彼らの信じている復活とは、イエスのような肉身の復活である。では、イエスの復活には、どのような意義があり、我々の復活には、どのような意義があるのか。結局、このような問題に直面することになるのである。
イエスの肉身が復活したのは、サタンに干渉されない復活の権限を、神様が行使されたからであり、神様は、この復活によって、我々信仰者の肉身を復活させる(神様の所属とする)ことのできる基台を立てられたのである。もし、イエスが復活しなかったならば、我々の肉身は、全て死亡圏(サタン主管圏)に属することになるため、生命要素を受けて成長することができず、汚れた体のままとならざるを得ない。しかし、イエスの復活によって、死亡圏に属していた人々の肉身が復活できるようになり、さらに、イエスの生命要素を受けて、堕落前の状態に向かうことができるようになったのである。
復活という言葉は、アダムとエバが、肉身を汚したことによって生まれたものである。もし、二人が堕落しなかったならば、我々は、復活という言葉とは何の関係もなかった。しかし、堕落したために、復活しなければならなくなったのである。
14-2 イエスと再臨主による段階的復活
肉身が復活すれば、信仰生活によって、生命体を成長させることができる。こうして、生命体が完成すれば、我々は、第二の復活である再臨主による復活を望むようになる。では何故、再臨主によって復活しなければならないのか。その意義を知らなければならない。
復活の根本的な内容は、まだ誰も知らない。ここで、その内容を明らかにしよう。もし、人が堕落しなかったならば、復活する必要の無い完全な霊人が完成していたであろう。霊人が完成するためには、神様の体につながるための系統を立てなければならない。それは、既に述べた通りである。神様の体につながるということは、生霊体を受けるということである。この生霊体を受けてこそ、我々は、創造本然の理想の人間となることができる。しかし、堕落したために、生命体と生霊体を段階的に完成させなければならなくなった。つまり、イエスによって、堕落前の生命級(長成期)に至ることはできるが、それでは、まだ生霊級(完成期)には至っていない。そのため、再臨主によって、生霊体を受けなければならないが、既に天に行った人々も、まだ、この生霊体を受けていないのである。
地上に再臨主が来られ、根本となる父母が現れてこそ、天と地の人々は、生霊体を受けて、理想の霊人体を構成することができる。再臨主が来られる前に、それができないのは、生霊体の根本である父母のいない立場で、先に生霊体を受ければ、父母のいない子が成立するという非原理的な事実となるからである。そのため、神様は、再臨後に生霊体を与えざるを得ないのである。
それゆえ、天でも地でも、再臨の日を心から待ち望んでいる。再臨主が来られてこそ、天の人々は復活して、完成段階に進むことができ、地上の我々も復活して、完成段階である生霊級に至ることができるのである。
地上で、子羊の婚宴という天の栄光を受けることのできる者は、イエスの生命要素を受けて成長し、生命体が完成した者である。この婚宴によって、生霊体を受けて復活し、神様の子女の立場として、家庭組織を成すことができるのである。
天に行った人々は、再臨の時まで楽園に留まっているが、それは、神様の子女として、天国生活ができずにいるからであり、準備段階にあるということである。再臨主が来られ、根本となる父と母が現れてこそ、息子と娘が生霊級となることができる。このように、天に行った人々が、楽園で、父と母の復帰を待ち望んでいるということは、再臨を待ち望んでいるという意味であることを知らなければならない。
この再臨によって、天では霊人たちが復活し、地でも人々が復活して、完成に向かうことができるのである。このような復活が、どれ程ありがたい事であろうか。こうして、地上の人々が完成して、神様と一つになり、天と地が一体となれば、その時が「天宙完全復活日」となるのである。
以上のような原理から、旧約時代と新約時代では、霊的段階に違いのあったことが分かる。旧約時代は、生命級に至るための基本的な段階として、生心に霊体を作り上げるための時代であった。次の新約時代は、生命級として、イエスによって復活し、生命体を成すことのできる時代であった。つまり、旧約時代の霊人たちが、イエスによって、生命級に至ったということである。
マタイによる福音書27章51節から52節には、次のように記されている。
神殿の幕が上から下まで
この聖句は、イエスと聖徒たちの復活について述べられている。その当時、多くの聖徒たちの死体が、イエスのように復活したのかと言えば、そうではない。では、どのように復活したのか。旧約の聖徒たちの復活というのは、霊人が生命級になったことをいう。これは、旧約の霊人たちには、大いなる栄光であった。このように、霊人は、段階的に復活するのであるが、既に天に行った人々にとっては、この復活を待ち望んでいる期間が、あまりにも長いのである。
全天宙は、再臨主によって、人々が復活して成長し、天の愛を中心とする理想家庭が築かれ、地上天国が建設されることを望んでいる。そして、天の人々は、今この時、再臨主を迎える者たちが現れることを限りなく待ち望んでいる。
天に行くことが良いことであると考えるのは、大きな間違いである。自分が地上で成せなかったことを、天から地上の人に依頼することは難しい。生霊体を受けるためには、再臨主に仕えなければならないが、それは、地上で行わなければならない。それゆえ、天の聖徒は、地上の聖徒に協力して、自分が地上でできなかったことを、地上の聖徒に成してもらうことで、目的を果たそうとするのである。そのため、地上の聖徒は、自分の目的の他に、天の聖徒の目的、即ち、個人であれば個人、家庭であれば家庭の目的を、天の聖徒の代わりに果たさなければならない。そのため、天の全ての聖徒たちは、地上で再臨主に仕える聖徒たちと一つになろうと、様々な方法で教示しようとするであろう。従って、今この時というのは、世界の聖徒たちが、地上において、天の聖徒たちの目的までも、果たさなければならない時なのである。
また、我々は、生霊体を繁殖させるために、伝道しなければならない。それゆえ、イエスは、次のように言われたのである。
「よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。」(マタイによる福音書18章18節)
このように、地上において、天の目的が果たされるということを、今の信仰者たちは知らなければならない。つまり、地上において、イエスと再臨主に仕える聖徒たちは、昔の霊人たちの目的を果たせることから、その霊人たちよりも上の立場となるのである。
天の霊人たちは、地上でイエスと再臨主に仕えることのできる聖徒たちを、どれほど羨ましく思うだろうか。それゆえ、ヘブル人への手紙11章39節から40節には、次のように記されている。
これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。
このように、後の者が先になり、先の者が後になるのは、上記のような原理となっているからである。
再臨の時に、死者の肉体が蘇ると信じている者は、昔のパリサイ人と律法学者のような立場に立つことになる。それゆえ、以上のような復活の根本意義を知らなければならない。この復活は、三段階(旧約、新約、成約)に分けて成就される。それを今まで知らなかったのである。
み旨を信奉できない者は、どれほど天を悲しませるだろうか。このように、今まで隠されてきた奥深い内容を明らかにする目的は、み旨を早く成就させるためである。