11 アベル以降の摂理
11-1 神様は最初のアダムとエバを取り戻すことができない
神様は、アダムとエバによって、子女を繁殖させようとされた。従って、その子孫は、神様の子孫となるはずであった。しかし、サタンによって、人は堕落してしまった。本来、人は、神様だけに応じなければならなかったが、非原理的なサタンが現れたため、そのサタンにも応じるようになったのである。しかし、これは、原理に反する事であった。
こうして、人が堕落したため、サタンは、神様よりも先に、人を所有したのである。そのため、サタンも神様のようになってしまった。つまり、人は、神様とサタンの両方に仕えるようになったのである。神様は、それを許されるはずがなかった。
そこで、もし神様が、堕落したアダムとエバを取り戻したとしても、それは、人の祖先が堕落から始まったということになるため、原理に反することになる。そのため、神様は、人を原理通りに取り戻すことにされた。つまり、アダムとエバは、既に失敗し、原理的な立場から外れたため、その二人をサタンに渡したのである。
11-2 神様はアダムの息子たちを分立された
神様は、アダムとエバの息子たちを、原理的な神様側と、非原理的なサタン側に、分立しようとされた。それは、その息子たちに、二つの性質が見られたからである。こうして始まった復帰の工作が、カインとアベルに対する摂理であった。つまり、神様は、先にサタンの血を受け継いだ長男であるカインをサタンに渡し、次男であるアベルを取ろうとされたのである。
神様は、何故、そのようにされたのか。エバは、最初、サタンに属していたが、その次は、アダムに属そうとして行動した。エバは、堕落した本人ではあったが、後にはアダムの愛を受けたため、その息子たちに、二つの性質が見られたのである。つまり、堕落した親である自分たちの立場から見ても、最初の愛はサタンからのものであった。しかし、その次のアダムの愛は、それが原理通りの愛ではなかったとしても、神様には憎まれていなかったのである。このような理由で、最初の子が、神様に憎まれていた。こうして、誰の子孫なのかということで、人の立場が対比されるようになったのである。
11-3 神様側に立つ条件
サタンも、自分の血を受け継いだ子孫が繁殖することを望んでいた。それゆえ、神様とサタンは対立しながら、互いに人を所有しようとしてきたのである。しかし、サタンは、それが最初から非原理であることを知っていたため、積極的に、「人は自分のものである」とは言えなかった。そのため、自分に従順となり得る条件が成立した人を、自分のものにしてきたのである。
人は、神様によって創造された。従って、本来は、神様が人を所有すべきである。しかし、サタンが現れたため、人は、神様とサタンの両方に応じるようになった。そこで、神様は、復帰の工作を始められたが、二つの分かれ道ができたのである。つまり、人は、神様のみ言を守らずに堕落したため、み言に従順であれば、神様側に立つことができ、み言に不従順であれば、サタン側に立ってしまうのである。
11-4 アダムの息子たちに対する摂理
カインとアベルは、それぞれ神様に供え物を捧げたが、神様は、アベルの供え物だけを祝福された。何故なら、長男であるカインは、先にサタンの血を受け継いだ者であり、次男であるアベルは、神様が取り戻すことのできる者だったからである。つまり、神様はアベルを愛されたため、アベルの供え物を受け取られ、カインの供え物は受け取られなかったのである。
その時、カインの供え物は受け取られなかったが、カインが、神様に愛してもらえなかったことを受け入れ、神様に愛されるよう、神様の愛するアベルを愛し、神様がされることに対して喜び、感謝する態度をとったならば、カインも神様側に立つことができたのである。たとえ、サタンが、カインを所有することになっていたとしても、カインが、不従順な立場から従順な立場となれば、神様は、カインを受け入れようとされていたのである。
しかし、カインは、神様の愛するアベルを怨讐として見ていた。そして、根本的に不従順であるサタンと同じ行動をとるようになり、結局、アベルを殺したのである。こうして、神様のみ旨であった最初の復帰原理は、カインの行動によって、人の死を伴うものとなった。
サタンは、カインがアベルを怨讐として見る時まで、カインを自分のものにすることができなかった。そのため、カインが自分のものになる時まで待っていたのである。創世記4章7節に記されているように、神様はカインに「罪が門口に待ち伏せている」と警告をされた。これは、サタンがカインを自分のものにしようとしていた事実を明らかにしている。つまり、カインが、アベルを怨讐として見たため、サタンは、カインを自分のものにして、アベルを殺したのである。これは、サタンが神様への反撃を開始するという予告であった。カインのこのような行動が、全人類に影響を及ぼすことになったのである。
カインがアベルを殺したのは、サタンが全てを自分のものにしようとする悪意の発露であった。しかし、神様は、アベルの代わりに、セツをアダムに与えられた。(創世記4章25節参照) こうして、セツを神様側として、アベルが継承すべきであったみ旨を、再び立てられたのである。そのため、不従順なサタン側のカインは、セツに対して工作をするようになった。
人は、堕落したため、神様よりもサタンに従いやすくなっていた。しかし、神様は、ご自身の目的を達成するために、原理的で従順な者を探し出して、工作を続けてこられたのである。ところが、セツの子孫たちまでが、カインの子孫たちの好む生き方をするようになった。つまり、サタン側に流れていったのである。
11-5 洪水審判に至った理由
こうして、神様のみ旨を立てる人々は、徐々に少なくなっていった。そして、人々は、サタンの意に従うようになり、堕落の根本である淫行が広まった。サタンに仕えるということは、サタンに従って楽しむということであった。神様は、見るに堪えられず、そのような人類を滅ぼし、み旨に相応しい者の子孫によって、み旨を立てようとされた。そのために、ノアを選ばれたのである。ノアは、神様のみ旨に従順な者であった。こうして、神様は、ノアによって復帰摂理を続け、み旨を成就しようとされたのである。神様が憎まれたものは、第一はサタン崇拝であり、第二は淫行であった。
この淫行が、堕落の種であった。これは、サタンに協力し、サタンの意を広める行為であったため、神様にとっては、目に余ることであった。それゆえ、この世では、男女の愛する行為や、男女の陰陽部が、恥ずかしいものであり、罪の実体であり、悪の実体であり、下品なものとされているのである。
このように、この世では、男女の最も貴い愛を下品なものとしている。これは、非原理的な愛が、堕落の根本となったことに対して、下品だと言っているのであり、また、そのように考えているのは、人が非原理的な愛によって堕落したということを、良心が告げているからである。この世でいう下品な話が、何故下品なのか。また、下品であるのに、何故それを好むのか。さらに、この世で一番貴いものが愛であるのに、何故その実体を下品だとするのか。そのような事を、よく考えて見なければならない。
アダムの家庭が、非原理的な愛から始まったため、下品ではない一番良いものが、下品なものとなってしまった。それゆえ、この世が、非原理的になってしまったのである。その事実が、多くの言葉に表れている。例えば、左右、陰陽、紅白などは、全て前後が反対になっている。これは、この世が非原理世界から先に始まったということを表している。
このように、サタンが繁栄する中で、善なる人々が敵対視されてきたため、昔から義人たちの
11-6 洪水審判の目的
アダムとエバが、神様のみ
その審判には、次のような目的があった。
(1) サタンを人から離すため
(2) サタンが怨讐であることを人に知らせるため
(3) 人を従順にさせるため
(4) 人が神様だけに応じるようにするため
(5) み旨成就の基盤を失わないようにするため
神様は、このような目的を持って審判をされたが、ご自身の責任を自覚せざるを得なかった。何故なら、人が堕落したのは、創造の結果であり、その最終的な責任は、神様ご自身にあったからである。
11-7 ノア以降の摂理の意義
神様は、アダムとエバの代わりとなる人物を立てる必要があった。しかし、その前のモーセの時代までに、ご自身が活動することのできる民族的な基盤を立てなければならなかった。何故なら、サタンは、本来、神様に従順であったが、相手に屈服すべきところが無く、従う理由が無ければ、たとえ原理的で罪の無い存在であっても、サタンは屈服しないからである。従って、神様は、サタンを屈服させることのできる民族的な基盤の上で、アダムとエバの代わりとなる人物を立て、人が堕落する前のところから、再び始めようとされたのである。これが、ノア以降の神様の摂理であった。
サタンは、神様に屈服することができなければ、イエスと聖霊にも屈服することができず、人々にも屈服することができない。それゆえ、摂理の目的は、サタンを神様に屈服させ、次に、アダムとエバ(イエスと聖霊)に屈服させ、その次に、全ての人々に屈服させることである。このようにして、サタン側の人が、一人もいなくなるようにしようとされたのである。
しかし、サタンは、神様のみ旨に反することを行なってきた。そのため、神様は、旧約時代から新約時代へと摂理を展開してこられたのであり、さらに、新約時代から再臨時代へと摂理を進めようとされるのである。ここで、旧約時代とは、神様が責任を持たれた時代であり、新約時代とは、アダムとエバ(イエスと聖霊)と全人類が責任を分担した時代である。こうして、堕落前の原点に戻ってこそ、再臨時代、即ち、成約時代の摂理を展開することができる。神様が、このような路程を通してまでも、人を復帰しようとされるのは、人を愛しておられるからである。全ての人々が、神様側に復帰されれば、サタンは目的を果たせなくなる。そのための神様とサタンとの戦いが、歴史上では、戦争として展開されたのである。