09. イエス様の13歳以降の路程と教え(4)

2025.06.04

前回の続きです。

―――ここから―――

イエスの預言は、近隣諸国に知れ渡りました。そして、彼がペルシアの国に入ったとき、祭司らは驚き、民がイエスの話を聞くことを禁じました。しかし、全ての村々で、人々は彼を喜んで迎えました。祭司らは、民が謙虚に彼の説教を聞いているのを見たとき、彼を捕らえさせ、大祭司のもとへ連れて行きました。イエスはそこで、次のような審問を受けました。

「おまえは、どんな新しい神について語っているのか。哀れな男よ。おまえは知らないのか。至高の存在と親しく語ることは、聖ゾロアスター以外の誰にも許されていないことを。天のゾロアスターが受けた掟、神の言葉を、誰が、民のために書き記すことを、天の使いに命じたと思うのか。我が神を汚し、信徒の心に疑念の種を、あえて蒔こうとするおまえは、そもそも何者なのか。」

イエスは彼らに、こう答えました。

「私が語っているのは、新しい神についてではありません。私はただ、私たちの天の父について語っているだけです。天の父は、常にそこに在り、全てが終わった後も、なおそこに在る方です。私が人々に説いたのは、その方についてですが、人々はあどけない子どものようです。彼らの素朴な知恵の働きでは、まだ本当の神を理解することはできず、神の崇高な神性、霊性を見通すことはできません。しかし赤ん坊は、全くの闇の中でも、母の乳房を探り当てます。正にそのように、あなたがたの間違った教え、間違った儀典によって、誤りに引き込まれている人々も、本能によって、私が預言している父の中に、本当の父を悟っています。永遠なる存在は、私の口を通して、あなたがたの民に、こう語ります。『太陽を拝むな。太陽は、私が人間のために創った自然界の一部に過ぎぬ。太陽は、人が働いている間、人を暖めるために昇り、私が定めた休息に、人の邪魔をしないように沈む。人が所有する全てのもの、人の周りにあり、上にあり、下にある全てのものは、私が創り、私が定めたものである。』」

祭司らは言いました。

「しかし、教える者がいなくて、どうして民が、正義の法則に従って生きることができるだろう。」

すると、イエスは答えました。

「祭司がいなければ、自然の法が支配し、民の魂の公正は守られたでしょう。民の魂は、神と共にありました。そして、父と言葉を交わす手段として、どんな偶像も動物も火も、必要とはしませんでした。しかし、誤った教えのために、ここでは、それが慣習となっているのです。あなたがたは太陽を拝み、善の霊と悪の霊とを崇めなければならないと主張しています。しかし、私は、あなたがたに告げます。あなたがたの教えは間違っています。太陽は、自分の意思で動いているのではありません。それを創った、目には見えない創造主の意思に従っているだけです。創造主は、人間の労働と種まきの時に暖めるため、昼間を照らす星として太陽を創りました。永遠の霊は、命あるもの全ての魂です。あなたがたは、それを、善の霊と悪の霊に分けるという、大きな罪を犯しました。神が、善なるもの以外に、いるはずはありません。子が悔い改めるなら、父は全ての過ちを許します。それなのに、神がどうして、悔い改めた子どもに、善くないことをするでしょうか。悪の霊は、地上の神の子たちを、まっすぐな道からそらしてしまう、不正な輩の心の中に住むものです。それゆえ、私は、あなたがたに告げます。最後の裁きの日に心しなさい。神は、その輩に、恐ろしい懲らしめを与えるでしょう。神の子たちを、正しい道から踏みはずさせ、誤った信仰と偏見で満たしてしまった、その者たちに。神の子たちの見える目を見えなくし、健康な人に病をうつした、その者たちに。神が人のために計画し、人の仕事を助けるために、人の下に置いたものを、礼拝するように教えた、その者たちに。あなたがたの教えは、あなたがたの偽りの果実です。あなたがたは、神を手元に引き寄せようとして、偽りの神々を作ったのです。」

イエスの話を聞いたあと、祭司らは、彼を害することを避けました。しかし、深夜になって、全ての街々が寝静まったころ、彼を城壁の外へ連れ出し、街道に捨てました。そうして、イエスが野獣の餌食になることを期待していたのです。しかし、我らの主、神のご加護によって、イエスは苦しむことなく、自分の道を進んで行きました。堕落して、真の神に背いた人々に警告するために。こうして、創造主が選んだ人、イエスは、29歳のとき、イスラエルに帰りました。

―――ここまで―――

本文に「あなたがたは、それを、善の霊と悪の霊に分けるという、大きな罪を犯しました」とあります。このように、道理も知らずに、自分たちの都合で、善と悪を分けるというのが、人類を悩ませてきた思考のパターンです。遥か昔から、ほとんどの人たちが、この思考に陥っています。例えば、霊は神聖であるが、肉体は悪であるとか、自分たちの教団こそ正しく、他の教団は偽りであるなど、全てを自分たちの都合で、善と悪に分けて、二元的に捉えてしまいます。そうなると、自分たちと異なる考えを受け入れることができません。しかも、たとえ自分たちの意見を受け入れている相手であっても、その人が、自分たちと敵対する人たちの意見も受け入れていると分かれば、途端に態度を変えて、こう言います。「あなたは一体どちらの味方なのか」と。このように、敵と味方に分けてしまいます。それが最も顕著に表れているのが、宗教ではないでしょうか。「いや違う、一番悪いのは無神論者だ」と思う方は、次のブログをご覧ください。

原理講論の認識法は善悪二元論