6 摂理の過程

6-1 万王の王を中心とする摂理の過程

表6.1のように、摂理の過程を4段階(過程1~4)に分けることができます。基本の過程はA行です。つまり、A1のように、陽子と電子によって、軽水素が形成されることから始まり、A4のように、原子核と電子によって、原子が形成されることで完了します。ここで、A2は、実の過程に対して虚の過程であるため、点線で描いていますが、これが、実の存在である原子を形成するためには、必須の過程となるため、2番目の過程として入れざるを得ませんでした。そして、A3は、陽子と反陽子の対消滅(ついしょうめつ)を表しています。この対消滅によって、陽子は原子核になりました。このA3の過程は、B行以降の摂理において、一時的な結婚を意味することになります。また、表の各図において、例えば、陽子、電子、軽水素のように、上下の位置が異なっているのは、世代の違いを表すためです。

表6.1

万王の王(ウーラノス)と万王の女王の創造については、1-12で述べた通りです。表のB3は、夜の神と夜の女神が、ある期間、結婚していたことを表しています。この過程で、陽子が原子核になったように、夜の神は、兄の立場から天の父の立場になりました。B4は、末の息子(クロノス)が二代王として後継者になったことを表しています。このB4の過程で、男神6神と女神6神から成るティーターン12神が編成されました。夜の神(天の父)の最初の目標は、このB4のかたちを地上に再現することでした。


6-2 アダムを中心とする摂理の過程

現生人類とされるホモ・サピエンス(Homo sapiens)は、数十万年前に出現したと言われています。そして、約5万年前には、集団の居住域が世界各地に広がり、数万年前から文化が興り、約1万年前には、人類の人口が500万人に達していたと推計されています。ちなみに、日本の縄文時代の始期は、約1万6千年前であり、約7千年前には、日本の人口が大幅に増加したと言われています。つまり、アダムが、約6千年前の人物だとしても、それ以前の人物だとしても、アダムの時代には、既に大勢の人々が存在していたことになります。では何故、アダムが人類始祖とされているのでしょうか。それは、それまでの人々の中に、夜の神(天の父)の肉身となるべき人がいなかったからです。

図3.6のメソポタミア神話の系譜を見てください。アヌの息子であるエンキとエンリルは異母兄弟でした。エンキとエンリルは仲が悪かったため、アヌの子孫であるアヌンナキたちは、エンキ派とエンリル派に分かれて対立していました。その影響が、人々の間にもあったのです。

図3.6に同じ

兄のエンキよりも、弟のエンリルのほうが、権力を持っていましたが、夜の神のみ意(こころ)は、エンキのほうにありました。それゆえ、エンキの長男であるマルドゥクが、新たに人間を創造し、その中から、夜の神の肉身として、アダムを選びました。夜の神は、このアダムを中心として、新しい人類を繁殖させようとされました。

人間の創造については3-9で述べた通りであり、それを表したのが図3.9.1です。

図3.9.1.に同じ

ここで、アダムの父(人間の男性)と母(人間の女性)に、世代差のあったことが分かります。従って、アダムの父とアダムには、二世代の差がありました。これを表したのが、表6.2のC1です。この時のアダムは、万王の王の立場でした。

表6.2

夜の神側のアヌンナキ(主なる神)は、アダムの血統を守り、その血統をもって、エバを創造しなければなりませんでした。しかし、エバを創造する前に、アダムが他の女性と関わり、主なる神に対する絶対的な信仰を失えば、アダムの血統、即ち、遺伝子情報は、書き換えられてしまいます。そのため、夜の神側のアヌンナキは、エバを創造する時まで、アダムが他の女性と関わらないように「善悪を知る木からは取って食べてはならない」という戒めをアダムに与えました。原理原本には、「善悪を知る木はエバを表している」と書かれていますが、ここで言うエバというのは、アダムの相手となり得る女性たちを意味していたということになります。時が来て、アダムに生霊体が授けられ、昼の神の立場となり、それまでの戒めは解かれました。しかし、アダムが本当のエバと出会った時、エバはまだ若すぎました。それゆえ、エバには生霊体が授けられておらず、霊人体が未完成の状態でした。原理原本には、「神様から与えられた生霊体は、罪を犯したアダムの体にいることができないため、神様が取り上げられた」とありますが、エバの生霊体を取り上げられたという記述はありません。

ところで、夜の神側のアヌンナキは、どのようにして血統を守り、エバを創造したのでしょうか。それは、図6.2のようにせざるを得ませんでした。つまり、父と娘、母と息子というパターンを繰り返してきました。従って、アダムとエバの関係は、父と娘でありながら、同じ母を持つ兄と妹でもありました。それを表したのが、表6.2のC2です。

図6.2

エバの創造に関して、創世記2章21節から22節には、次のように記されています。「そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠ったときに、そのあばら骨のひとつを取って、その所を肉でふさがれた。主なる神は人からとったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。」ここで、「主なる神」とは、夜の神側のアヌンナキのことであり、「人」とはアダムのことであり、「女」とはエバのことです。また、「あばら骨」は、「生命」の誤訳であり、その生命によって、エバを誕生させなければなりませんでした。つまり、「あばら骨」とは、X染色体を持つ「精子」を意味すると考えられます。これらの事から、上の聖句は、次のように解釈できます。「夜の神側のアヌンナキは、アダムを深く眠らせ、アダムから精子を摘出した。その精子をアダムの母の子宮に注入した。(人口受精)こうして誕生したのがエバである。」

このようにして、エバが創造されたため、アダムの母(エバの母でもある)は、生まれたエバの父親が誰なのかを知りませんでした。そのため、アダムの母は、エバと共に暮らしていましたが、エバの父親が誰なのかを言うことができませんでした。一方、アダムも、エバが自分の娘であり、妹でもあることを知りませんでした。エバも同様に、アダムが自分にとって、どのような存在なのかを知りませんでした。そして、アダムとエバには、親子ほどの年齢差がありました。このようにして、夜の神側のアヌンナキは、将来のアダムの妻、即ち、エバを準備しました。

次は、表6.2のC3についてです。アダムの最初の妻は、エバではなく、アダムと同格のリリスでした。このリリスが、創世記1章に登場する女性です。アダムは、夜の神側のアヌンナキによって創造されました。一方、リリスは、ルシファーを中心とした、夜の女神側のアヌンナキによって創造されました。何故なら、夜の神が、ルシファーに、リリスの創造を任せていたからです。さらに、創造した女性が気に入れば、自分のものにしてもよいと、ルシファーに約束をしていました。

アダムは、リリスと結婚することによって、夜の神(天の父)の立場となりました。リリスも同様に、夜の女神(天の母)の立場となりました。アダムとリリスは、同格であり、互いに主張を譲らなかったため、よく喧嘩をしていました。しかし、結局、リリスが、アダムのもとを去って行きました。この事によって、アダムは、夜の神の位置を守ったことになりました。

次は、表6.2のC4についてです。アダムは、リリスが去ってから、しばらくの間一人でいましたが、夜の女神側のアヌンナキは、リリスの代わりに、ナーマ(またはナヘマ:Nahema)という女性を連れてきました。このナーマが、アダムの2番目の妻とされています。しかし、アダムは、ナーマを好んではいませんでした。

その後、アダムは、エバと結婚しました。そして、アダムの後継者は、セツ(末の息子)になりました。これは、表6.2のB4における二代王(末の息子)が、B1における万王の王の位置に着いたからです。これに関して、ギリシア神話では、万王の王であるウーラノスの王座を、末の息子であるクロノスが奪い、二代王になったと表現されています。

ここで注意すべきことは、アダムが一人で、万王の王、昼の神、夜の神の三役を果たしたということです。これは、イエス様や真のお父様も同様でした。


6-3 ヤコブを中心とする摂理の過程

アダムの2番目の妻であったナーマに関しては、記録がほとんどありません。それは、すぐに別れてしまったからだと考えられます。その時のアダムは、既に若くはありませんでした。従って、夜の女神側のアヌンナキが、アダムと同格の女性として連れてきたナーマも、若くはなかったと考えられます。たとえ、アダムの前に、ナーマの代わりとなる女性を連れてきたとしても、アダムが若いエバと結婚した後では、そのような女性を受け入れるはずがありませんでした。

しかし、上記のようなパターンが生じてしまったため、アダムとナーマの関係を再現して、これを乗り越えなければなりませんでした。それが、表6.3のD4における、ヤコブとレアの関係でした。

表6.3

アダムがナーマを好まなかったように、ヤコブもレアを好みませんでした。ヤコブが望んでいたのはラケル、即ち、レアの妹でした。ヤコブは、おじのラバン(レアとラケルの父)に騙されて、レアとラケルの二人を妻として迎えることになりました。

レアは目が弱く、ラケルは若くて愛らしい妻でした。この二人の妻が、息子の数で、立場を競い合うようになりました。そして、二人が子供を産めなくなると、それぞれの召使いに命じて、ヤコブと関係を持たせ、生まれた子を自分の子としていました。レアの召使いはジルバ、ラケルの召使はビルハといいました。つまり、ヤコブには妻が二人、妾(めかけ)が二人いたことになります。

ヤコブは、二人の妻の言う通りにしました。その結果、イスラエルの12支族の長は、全員が男性となりました。しかし、本来は、男性6人と女性6人で編成されるべきでした。何故なら、ティーターン12神は、男神6神と女神6神で編成されたのであり、また、素粒子のクォークには、プラス6種とマイナス6種の計12種があるからです。

ヤコブとレアの間に生まれた三男のレビは、イエス様の本当の父親である祭司ザカリアの先祖になりました。同じく、四男のユダは、イエス様の先祖になりました。これは矛盾しているようですが、イエス様の先祖は、ユダ族の系統を見なければなりません。しかも、その系統を見るときには、男性を中心とするのではなく、女性を中心としなければなりません。何故なら、原理原本によれば、イエス様の先祖として、タマル、ラハブ、ルツ、バテシバが挙げられており、このような女性たちが中心となって、天の血統が復帰されてきたからです。イエス様の母であるマリアと、その夫であるヨセフは、共にユダ族ですが、上述の内容から、イエス様は、ヨセフの子ではなく、マリアの子であるということになります。

ヤコブとラケルの間に、ヨセフとベニヤミンが生まれました。しかし、ヨセフは、兄弟たちによって、エジプトに売られてしまったため、ラケルのもとに残ったのは、ベニヤミンだけでした。ベニヤミンは、ヤコブにとって、一番末の息子でした。

ベニヤミンは、兄たちから疎外されていました。しかし、そのようなベニヤミンを支えていたのが、四男のユダでした。その後、四男のユダを祖とするユダ族と、末の息子ベニヤミンを祖とするベニヤミン族は、統合されていきました。これと同様に、真のお父様の四男である国進(クッチン)様は、末の息子である亨進(ヒョンジン)様を支えていましたが、後には、共に歩むようになりました。


6-4 イエスを中心とする摂理の過程

上述のように、イエス様の本当の父親はザカリアです。それを表したのが表6.4のE1です。

表6.4

ルカによる福音書2章41節から43節には、次のように記されています。「さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭りのために上京した。ところが、祭りが終わって帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。」この聖句を最後にして、聖書には、イエス様の13歳から29歳までの記録がありません。その間、インドで仏教を学び、僧侶として活動されていたという説があります。また、その頃、日本に来られていたという説もあります。さらに、ルカによる福音書3章23節には、次のように記されています。「イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。」また、マルコによる福音書1章には、「イエス様は、ガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた」という記述があり、そこから、イエス様の路程が始まっていたことが分かります。ただし、原理原本には、「メシアだと言っているその存在は、彼らがよく知っているヨセフの子であり、それまで、大工として知られていたのである。(マルコによる福音書6章3節参照)」と記されていることから、イエス様は、ヨハネから洗礼を受ける前には、ヨセフとマリアのもとに帰り、大工として、ある期間を過ごしていたことになります。

次は、E2についてです。イエス様は、C2を再現するために、母マリアのところに行きましたが、拒否されてしまいました。これに関して、原理原本には、次のように記されています。「神様は、霊的にマリアを奪ったが、イエスは、肉的にマリアをエバとして復帰しなければならなかった。しかし、マリアは、それに従うことができず、み旨を成就することができなかったため、イエスは、苦難の路程、即ち、3年の公生涯の路程を行かざるを得なくなったのである。そのため、マリアは、イエスにとって、怨讐的な存在となった。それゆえ、イエスは、母親に対して、『婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか』(ヨハネによる福音書2章4節)と言われたのである。神様とイエスは、人間的には理解できない原理を立てようとされていたが、サタンが一番恐れていた、この根本的な歴史の基盤を立てることができなかったのである。」では何故、母マリアがエバの立場なのでしょうか。ここでいうエバとは、メシアが復帰すべき女性を意味しているのであり、実際のエバでないことは言うまでもありません。

イエス様は、母マリアの拒否によって、失敗したことになっています。しかし、イエス様のみ旨に対する意志は確固たるものでした。そのため、次のみ旨に移行することができました。アダムの場合は、自分で母のもとに行ったのではなく、眠らされている間に、精子を摘出されていました。

次に、イエス様は、イスカリオテのユダの愛人、即ち、マグダラのマリアと関係を持ち、娘サラをもうけました。これに関して、原理原本には、次のように記されています。「イエスの愛する弟子たちの中に、イスカリオテのユダがいた。イエスは、このユダの協力を得て、割礼の条件を立てようとされた。つまり、ユダの愛人であり、イエスに絶対的に従順であったマグダラのマリアをエバとして立て、サタンがエバをアダムに構わず奪ったように、イエスがユダの愛人を奪って原理を取り戻し、その後、イスカリオテのユダに、マグダラのマリアを与えようとされたのである。」これが、聖酒式や三日行事の原型であったと考えられます。

次は、E3についてです。イエス様は、C3のように、リリス役の女性と関係を持ったと考えられますが、その女性が誰であるかは断定できません。

イエス様は、結局、十字架にかけられましたが、3日後に肉体をもって復活されました。つまり、イエス様は、瀕死状態だったのであり、亡くなられたのではありませんでした。何故なら、イエス様を槍で刺した兵士は、イエス様の信者だったため、急所を突かなかったからです。そして、その兵士は、イエス様を他の場所に移しました。こうして、イエス様は、3日後に復活し、40日の期間を経た後、日本に向かいました。それは、日本で生涯を終えられたという伝承があるからです。

次は、E4についてです。イエス様は、D4のかたちを再現しなければなりませんでした。ただし、レビとユダの系統は、イエス様のご聖誕によって完結しました。イエス様は、日本で3人の娘を残されたという説がありますが、本当は息子もいたのかも知れません。何故なら、イエス様の長男が、半島に渡ったという説があるからです。

以上から、イエス様も、アダムのように、万王の王、昼の神、夜の神の三役を果たされたということが分かります。


6-5 再臨主を中心とする摂理の過程

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