4 有形世界と無形世界

4-1 用語の意味

原理原本でいう有形世界、無形世界というのは、形状のある世界なのかどうかを意味しているのではなく、普通の人の肉眼で見える世界なのかどうかを意味しています。普通の人には、3次元世界しか見えません。しかし、5次元世界までは、形状があります。従って、表4.1では、3次元から5次元までを有形世界、6次元から11次元までを無形世界としています。

表4.1

エネルギー体というのは、普通の人の肉眼では見えない体であり、オーラとも呼ばれているもので、生きているときには、肉体に重なっています。ただし、肉体を持たないエネルギー体は、一般的に霊と呼ばれています。エネルギー界も同様に、普通の人の肉眼では見えない世界のことです。ただし、臨死体験や幽体離脱などによって、4次元のアストラル界を見てきたという人たちもいます。この4次元の終わりには、「事象の地平面」といわれるブラックホールの入口があります。これが、「三途の川」です。これを越えると、5次元に引き込まれ、自分の肉体に戻ることはできません。

エネルギー体の一つである生命体というのは、一般的にいわれる生物のことではありません。原理原本でいう6次元から8次元の生命体は、霊体を意味し、3.5次元の生命体とは定義が異なります。同様に、原理原本でいう5次元の霊体は、幽体を意味し、6次元から8次元の霊体とは定義が異なります。また、原理原本でいう9次元の生霊体(せいれいたい)は、俗にいう生霊(いきりょう)とは異なります。

地上の物体は、エネルギー体に入れません。ここで、地上の物体と表現したのは、4次元のアストラル界や、5次元の幽界にも、有形の物体があるからです。ただし、それらの物体は、地上の物体とは、種類や性質などが異なっているかも知れません。

次は、心的要素である肉心についてです。原理原本には、「肉体は、肉心の目的を果たそうとする。この性質は、動物的な本能である。この本能は、肉身の行動によって、生存の知覚、保護の知覚、繁殖の知覚などに区分される。この本能が、肉身を維持しているのである」とあります。つまり、動物的な本能は、肉心による性質であるということです。しかし、ここでは、4次元の感覚と感情も、肉心に含めます。何故なら、感覚と感情は、動物にもあるからです。ちなみに、感覚とは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などのことで、感情とは、喜怒哀楽、諦め、驚き、恐怖、好き嫌いなどのことです。

ここで、動物にも理性があるのではないかと思うかも知れません。確かに、感情と同じ4次元にも、思考する部分があります。しかし、理性は5次元であるため、思考のレベルが異なります。人間は、この理性を持っているからこそ、人生の意義を考えたり、論理展開したり、信仰を持ったりすることができます。これが、人間と動物の違いです。


4-2 生命体

生命体は、3次元の肉体の生存に直接関連するため、完全に4次元の存在であるとは言い難く、また、普通の人の肉眼では見えないため、完全に3次元の存在であるとも言い難いものです。そのため、3次元と4次元の中間にあるものとして、3.5次元の存在であると言うことができます。このように表現できるのは、次元の境界は明確に分かれているのではなく、曖昧であり、グラデーションのようになっているからです。

生命体には、生命と気があります。ここで、生命というのは、肉体を生存させ、その機能を発揮させるための基本プログラムであり、気というのは、その基本プログラムを実行するために必要なパワーです。従って、生命と気は、コンピュータでいうOS(WindowsやMac OSなど)と電源に相当すると考えられます。また、欲求を満たそうとするのは、生命の要求によるもので、それは、植物や動物においても同様です。

人によっては、一時的に肉体から霊(アストラル体を含めた霊人体)が離れ、幽体離脱や臨死体験をすることがあります。その間も、肉体は、眠るようにして、生き続けることができます。それは、肉体に、生命体(エーテル体)が残っているからです。ただし、その間の人の意識は、肉体には無く、霊のほうにあります。

植物は、3.5次元の生命界までの存在です。また、その生命界では、妖精といわれる存在が活動しています。


4-3 アストラル体

アストラル体は、4次元の体であり、肉体と同じような形をしています。前述のように、アストラル体には、感覚と感情があります。これを心だと思うかも知れませんが、5次元の心とは別のものです。感覚と感情は、潜在意識(無意識)であり、自分でも知らないうちに感じるものです。

動物には、霊が無いと考えられているかも知れません。しかし、動物には、アストラル体があります。つまり、動物は、死後、アストラル体として存在することになります。このアストラル体があるということは、人間と同じように、感覚と感情があるということです。


4-4 幽体

幽体のことを、原理原本では霊体、原理講論では霊形体としています。これは、定義の問題ですので、そのように理解してください。

幽体は、5次元の体であり、これも肉体と同じような形をしています。前述のように、幽体には、心と理性があります。この心と理性は、顕在意識であるため、自覚することができます。つまり、私たちは、5次元の心と理性によって、考えたり、悩んだりしています。その詳細については、別のところで説明します。


4-5 霊体

霊体のことを、原理原本と原理講論では生命体としています。霊体は、6次元から8次元までの体であり、形はありません。この霊体を、次元ごとに分ければ、6次元の体をコーザル体、7次元の体をブッディー体、8次元の体をアートマ体と呼ぶこともできますが、一般的には、次元の捉え方が曖昧であるため、様々な説があります。

霊体の心的要素を魂といいますが、原理原本と原理講論では生心としています。この生心は、潜在意識(無意識)であり、自覚することはできません。しかし、この生心には、多くの前世の記憶があるため、それが、考え方、言動、好み、特技、才能などに影響を与えています。

この生心に関して、原理原本には、次のように記されています。「神様が良心として人の心に作用しているのではなく、神様と生心との授受によって良心原力が生み出され、その力が心に作用しているのである。」つまり、良心作用の仕組みは、図4.5のようになります。

図4.5

さらに、原理原本には、次のように記されています。「人は堕落し、生心による良心作用が弱くなったため、霊人を成長させることが難しくなってしまった。このような人の霊人を成長させ、生命体にすることを目的とした神様の摂理が、イエスによって、信仰生活を育成することであった。」つまり、堕落すること(神様から離れること)によって、神様と生心の授受により生じる良心原力が弱くなったため、良心作用が5次元の心に十分に働かなくなり、霊人を生命体の完成段階にまで成長させることが困難になったということです。その対策が、信仰生活だということになります。表4.1を参考にしてください。

表4.1に同じ


4-6 心と理性

以上の説明で、人が自覚することのできる顕在意識というのは、5次元の心と理性だということが理解できたと思います。また、潜在意識(無意識)である肉心(欲求、感覚、感情)と生心の情報は、5次元の心に送られます。ただし、生心の情報は、堕落の程度に応じて、心に届き難くなります。

たとえ肉心と生心の情報が、全て心に送られたとしても、それだけでは、心がカオス状態になってしまいます。そのため、理性によって、それらの情報を整理しようとします。つまり、本心と邪心に振り分けます。ここで、本心というのは、自分の価値観に基づく判断基準によって良しとするものですが、その判断をするときには、良心作用が働いて、生心の要求を満たさなければなりません。しかし、その良心作用は、堕落の程度に応じて弱くなります。また、それ以前に、理性が弱ければ、より正しく判断することが困難になってしまいます。

従って、真理や真実を求めていくことによって、霊性と理性を共に高め、霊人を成長させていかなければなりません。ここで、真理や真実を求めるということは、何も考えずに、ただ信じるということではありません。何故なら、それは、理性による思考を停止させるため、理性を弱めてしまうことになり、むしろ霊人の成長を困難にするからです。


4-7 脳の役割

以上から、エネルギー体によって思考し、また、肉体が生存しているということが分かりました。では、脳の役割とは何でしょうか。脳は、肉体の制御装置のようなものでありながら、エネルギー体と肉体をつなぐ通信機のようなものでもあります。つまり、脳は、エネルギー体の指示を受けて、肉体を制御し、その肉体の状態をエネルギー体に伝えています。それによって、エネルギー体は、肉体の状態が希望通りになっているのかどうかを確認することができます。従って、肉体がエネルギー体の希望通りの状態になるまでには、ある時間を要し、その後、脳を通して、肉体の状態がエネルギー体に伝えられるときにも、ある時間を要します。

肉体が不調であれば、肉体はエネルギー体が思った通りに動きません。そのとき、エネルギー体が、脳から「肉体が辛い」という知らせを受ければ、エネルギー体は、肉体を休ませるようにするでしょう。また、エネルギー体が、肉体によって、良い経験をすれば、エネルギー体は幸福を感じ、それによって、肉体の状態が良くなることがあります。このように、エネルギー体と肉体は、脳を通して授受しながら、互いに影響し合っています。

ここで、注意しなければならない事は、人の行動の9割以上は、潜在意識(無意識)によるものであるということです。つまり、5次元の顕在意識を通して考え、それによって行動しているのは、1割にも満たないということです。例えば、慣れない事をしている間は、考えてから行動しますが、完全に慣れてしまえば、考えなくでも、「反射」と呼ばれる感覚的な行動をとるようになります。これは、3次元の肉体が、5次元の理性(意識)を介さずに、4次元の感覚(無意識)と直接授受しているということです。このような「反射」によって、脳の反応時間は、大幅に短縮されます。


4-8 記憶

前述のように、脳は、肉体の情報をエネルギー体に伝えます。つまり、肉体の経験(五感で感じたことや言動など)は、その都度、エネルギー体にアップロードされます。その後、その経験に対する思いや感情などが加えられ、さらに、理性によって、その経験の意味づけがされます。そして、最終的には、そのデータが魂に刻まれ、記憶として残ります。従って、肉体は死んでも、記憶は永遠に残ります。

これに関連して、原理原本には、次のように記されています。「認識は、肉身の作用によって、心理的要素を持つ霊人に伝えられる。こうして、霊人(核体)と肉身(附体)が、完全に合致したとき、その認識は完全なものとなる。さらに、この認識は、霊人の作用によって、天宙全体に伝えられる。つまり、人は、天宙全体と一つになる方向へ作用する。こうして、その認識が、永遠に続くものとなっていくのである。」

このように、原理原本では、人の記憶が、天宙全体に伝えられるとしています。この概念は、アカシックレコードとして知られています。ただし、アカシックレコードというのは、個人の記憶にとどまりません。それには、天宙の元始からの事象や、未来の予定までもが、全て記録されています。従って、アカシックレコードは、天宙の歴史書や予言書などが保管されている図書館のようなものであると言えます。ある人たちは、このアカシックレコードにアクセスすることができます。また、そのような人たちから訓練を受けることによって、それを可能にすることができます。


4-9 生霊体

生霊体(せいれいたい)は、原理原本でのみ示されている9次元のエネルギー体です。また、真のお父様は、「あなたたちは昼の神様から来たのだ」と言われましたが、昼の神様は9次元の存在です。つまり、生霊体とは、昼の神様のエネルギー体です。ところが、人は、昼の神様の体として創造されたにもかかわらず、堕落すること(神様から離れること)によって、生霊体を取り上げられてしまい、9次元の神界に帰ることができなくなってしまいました。そのため、数え切れないほどの輪廻転生を繰り返してきたのです。

その生霊体を取り戻すことが、再臨主であられた真のお父様の目的の一つでした。それゆえ、原理原本には、次のように記されています。「人が堕落することによって、全ての人の霊人を段階的に完成させざるを得なくなった。つまり、長成段階においては、イエスの生命要素によって、生命体が完成し、次の完成段階において、再臨主が人々に生霊体を注入することによって、理想の霊人体が構成されるのである。」

私たちは、祝福を通して、真のお父様から生霊体を授かり、霊人体を完成させることができました。こうして、生霊体を授かった私たちは、男性であれば昼の神として、女性であれば昼の女神として、9次元の神界に入ることができるようになりました。そのため、もう地上に転生する必要はありません。転生したくなければ、しなくても良いのです。従って、今回が、最後の地上生活になるかも知れません。原理原本や原理講論を見ても、輪廻転生について言及されていないのは、そのためだと考えられます。

真のお父様は、祝福によって、私たちに生霊体を授けるために、過酷な試練を通過し、サタンとなったルシファーを屈服させなければなりませんでした。何故なら、ルシファーから、祝福の条件を取り戻さなければならなかったからです。最終的に、真のお父様は、ルシファーを屈服させ、さらに祝福し、元の天使長の位置に戻しました。こうして、ルシファーも、祝福家庭になったのです。従って、現在、サタンのように活動しているのは、ルシファーではなく、他の存在であることを理解してください。

私たちは、祝福にそのような価値があることを知りませんでした。それを知ることができたのは、原理原本の内容が明らかになったからです。もし、私たちが、生霊体のことを知らなければ、神界に入ることのできるビザがパスポートに押されていたことを知らずにいるようなものです。

祝福二世の場合は、祝福一世のような過程を経なくても、成長すれば、自然に生霊体が与えられます。


4-10 霊人の系統

真のお父様が言われた通り、私たちは昼の神様から来ました。これは、どのような意味なのかといえば、私たちは、本来、9次元の昼の神、昼の女神だったのですが、ある目的を果たすために、徐々に次元を下げながら、地上に降りてきたということです。幾つものエネルギー体が重なっているのは、そのためです。

原理原本には、「旧約時代の霊人たちが、イエスによって、生命級に至った」とあります。これは、私たちのグループが、地上で神様の復帰摂理が始まった旧約時代、即ち、ノア以降の時代に地上に降り、人として実体的に歩み、その後、イエス様の時代に転生していたと解釈することができます。つまり、私たちは、旧約時代においては、エジプトで苦役生活をしていたかも知れませんし、新約時代においては、イエス様を中心とする群れの中にいたかも知れません。或いは、そのような時期ではなくても、旧約時代の信仰である律法による行義の路程と、新約時代の信仰である信義の路程を、それぞれの時代の中で歩んでいたかも知れません。このような過程を経て、真のお父様の時代に転生したのが、現在の私たちであると考えることができます。従って、現在の私たちの肉体は、一時的な借り物であり、今までにも、様々な人物として、転生してきたということになります。ただし、地上の肉体は堕落していたため、生霊体を失っている状態で、地上生活を送らなければなりませんでした。

ここで、「私たち」と表現するのは、時代を超えて、別の人(霊人+肉身)として生まれ変わっても、一貫してメシアの系統に関わってきた魂のグループが「私たち」であり、他の大部分の魂は、そうではないということです。従って、私たちの系統は、天宙全体から見ると、ほんの一部に過ぎません。つまり、霊人には、私たち以外にも様々な系統があり、地上でそれぞれの計画を実行し、それぞれの使命を果たしているということです。

また、地上生活をしている霊人たちの約半数は、地球以外の霊人たちです。つまり、地球に住んでいる人々の約半数は、宇宙人の魂を持っています。宇宙人とは、宇宙の住人という意味であり、地球以外の人たちから見れば、地球人も宇宙人の一種に過ぎません。

そもそも地球には何も無く、人もいませんでした。地球の植物や動物は、様々な星の宇宙人たちによって持ち込まれたもので、人の肉体でさえ、アヌンナキと呼ばれる宇宙人たちによって創造されたものです。これに関して、原理原本には、次のように記されています。「有形実体世界を創造される前に、天使を創造されたのは、有形実体世界の創造を手伝わせるためであり、また、報告や連絡をさせるためであった。」ここで、天使というのは、宇宙人たちのことです。

では、どのようにして地球の霊人たちが存在することになったのでしょうか。人の肉体には寿命がありますので、霊人は一旦、その肉体から抜け、別の転生先を選ばなくてはなりません。そのときに、再び地球を選んで転生し、それを繰り返していけば、地球の霊人となっていきます。現在、宇宙人の魂を持って地上生活をしている人たちは、前世が宇宙人だったのであり、次も宇宙人となる予定の人たちのことです。つまり、そのような人たちは、一時的に地球で生活をしているということになります。しかし、そのような人たちでも、地球で転生することを望み、それを決意すれば、地球の霊人になることができます。

このように、地球は、様々な宇宙人たちによる共同作品であり、彼らによる万物や人が地球に存在するため、人の肉体を持っていない宇宙人たちも、地球に多くの関心を持ちながら、サポートを続けているのです。


4-11 私たちの使命

私たちは、一生懸命に伝道活動をしてきました。それは、同じ系統のメンバー、即ち、私たちの霊的な兄弟姉妹を探し出して集めるためでした。では、私たちの本当の使命とは何だったのでしょうか。それは、私たちの身内から出てしまったサタンを、真のお父様を中心として、元の位置に戻すためであり、私たちは、そのために、真のお父様を支えなければならない立場でした。真のお父様も、私たちも、サタンとなったルシファーも、9次元から来ました。ただし、真のお父様には、10次元の夜の神がついていました。

原理原本には、次のように記されています。「天使長ルーシェルは、天使世界でも失敗した立場であるため、天使長たちは、この失敗を取り戻すために、自分たちがルーシェルに代わってでも、責任を取らざるを得ない立場となった。それゆえ、天使長たちは、今まで、多くの努力を続けてきたのである。しかし、天使長たちが、地上で、その責任を果たすことができるようになるのは、再臨の時からである。」ここで、天使長ルーシェルとは、ルシファーのことですが、天使長たちというのは、真のお父様を筆頭とする私たちのことです。また、私たちが「ルーシェルに代わってでも、責任を取らざるを得ない立場」であったために、身代わりの蕩減(罪の清算)という路程が生じてしまいました。

真のお父様は、最終的にルシファーを祝福されました。何故なら、ルシファーが家族であると気が付かれたからです。それが、晩年に言われた「ルーシェルは、夜の神様の弟である」というみ言の意味であると考えられます。そうであるならば、ルシファーは、私たちにとっても家族であるということになります。従って、私たちは、改心したルシファーを家族として受け入れなければなりません。しかし、私たち、即ち、昼の神の中からサタンが現れたということは、万民に知らせるべきではありません。何故なら、それは天の秘密として、できれば消し去りたい内容だからです。しかし、「真のお父様が地上で何をしていかれたのか」ということを知るべき人たちのために、こうして、ここに書かざるを得ませんでした。

真のお父様は、既に聖和されましたが、私たちには、まだ課題が残っています。原理原本では、一人一人が「原理を完成させなければならない」ということになっていますが、その究極の目的は、原理でいう生心、即ち、自分の魂と授受しながら、より次元の高い天の事情を理解し、最終的には、夜の神(天の父)と夜の女神(天の母)の表側だけではなく、裏側も全て受け入れることで、自分自身が、夜の神様の子としての立場を復帰するということです。これが、「神様と一つになる」という本当の意味です。真のお父様が与えてくださった生霊体によって、それが可能になります。そうすれば、天が、真のお父様に実行させざるを得なかった、理解し難いみ旨の意味が、理解できるようになると思います。

真のお父様と共に、神界の9次元から来た私たちは、そこに帰るときにも、真のお父様と一緒でなければなりません。それは、出発地に帰るためには、乗ってきた船に、また乗らなければならないという事と同じです。この地上では、私たちが一緒に地上に来たことを思い出すことはできませんが、皆が集まる5次元の幽界では、それを徐々に思い出すことができるようになると思います。そして、思い出したら、真のお父様を訪ねてください。


4-12 地上生活

霊人たちは、人の肉体を持って、地上生活をしています。従って、人には、霊的な親と肉的な親がいるということになります。これに関して、原理原本には、「この世に父母が存在するように、天にも父母が居られなければならない」と記されています。

地球は、霊人たちを成長させるための修練所であり、また、罪の清算をするための場でもあります。しかし、一方では、そのような事とは関係なく、単なる経験として地球に来ている場合や、地球の環境を維持するために来ている場合、或いは、同じ系統の人たちをサポートするために来ている場合もあります。つまり、同じ人間のように見えても、地上生活をしている本来の目的や、霊人の系統(魂の故郷)は、人によって様々です。もし、ある特定の人たちが交流をしていれば、その人たちは、同じ系統の霊人を持つ人たちであるかも知れません。

では何故、人々は、地球に来た目的と使命を忘れた状態で、地上生活を送っているのでしょうか。その目的と使命の内容と、それを果たすべき時期については、潜在意識である魂が知っています。しかし、それを顕在意識である心と理性に、事前に知らせてはいけないというルールになっています。しかし、魂は、時期が来れば、その目的と使命を果たす方向へと、肉身を導いていきます。その目的と使命を果たすためには、苦労をすることになりますが、それをあらかじめ知っていれば、必要な苦労を避けてしまいます。そのため、顕在意識である心と理性に、その事を事前に知らせてはいけないということになっています。もし、事前にそれを知らせれば、それは、テストを受ける前に答えを教えてしまうようなものです。たとえ、それで、テストの結果が合格点に至ったとしても、それは本当の意味で合格ではありません。そして、自分の目的と使命を果たすということは、必ずしも、外的に何かを成功させることだとは限りません。失敗することによって、何かを深く悟ることがあります。逆に、最初から成功すれば、傲慢になってしまいます。重要な事は、地上で何を学んだのか、そして、魂が成長したのかどうかです。テストが終われば、答え合わせをするように、後になって振り返れば、自分の路程の意味が分かるようになります。

天宙では、同じような性質の霊人たちが集まって暮らしています。つまり、価値観が皆同様であり、仲間同士では争いも無く、平和であり、刺激もありません。しかし、このような状態では、魂の成長を望めないのです。魂が成長するためには、自分たちと異なる価値観が存在しているという事実を知り、それを刺激として、より深く考え、悟っていく過程を経なければなりません。その過程には、内的な葛藤だけではなく、外的な戦いが伴うかも知れませんが、それを乗り越えてこそ、成長することができます。そのような経験を通して、魂の成長を最も望める星が地球です。何故なら、地球には包容力があるため、様々な系統の霊人たちが集まってくるからです。地球は、他の星では拒絶されていたルシファーまでも受け入れました。地母神であるガイアは、ルシファーが自分の永遠のパートナーになることを知り、ルシファーが改心する時まで待っていたのかも知れません。

人は、最初から平和なところにいても、平和を実感することができません。葛藤や戦いを経験してこそ、平和を実感することができ、それに感謝することができます。地上生活は、永遠の存在である霊人たちから見ると、一瞬の経験に過ぎませんが、それによって、永遠の価値観を得ることができます。

地上生活でしか経験できないことは、他にもたくさんあります。例えば、寿命が100年にも満たない肉体を持っているからこそ、容姿によって世代差を認識することができ、親子関係を実感することができ、命の尊さを知ることができます。永遠の存在である霊人たちの世界では、親子関係が希薄であり、命の尊さも分かりません。また、肉体を持っているからこそ、食べていくのに苦労し、病気や怪我で苦しむこともありますが、それらが解決されたときには、喜びを感じながら、支援してくれた人たちに対して感謝することができます。さらには、妊娠、出産、育児を通して、繁殖するようになっているため、その苦労や喜びを経験することができます。

このような地上生活を通して、霊人たちは感謝することを学び、また、好き嫌いという価値観を超えた家族愛を経験することによって、これこそが永遠不変の愛であると分かるようになります。こうして、天が、感謝と家族愛で満たされるようになれば、地上の問題は、自然に解決されていきます。何故なら、地上は、天を表す影であるからです。これに関して、原理原本には、次のように記されています。「唯一である神様が、多くの人や万物を創造されたということは、それらが、無形世界から有形世界に展開されたということである。つまり、神様は、無形世界を表す影として、有形世界を発展させようとされたのである。これが、創造の意義である。」「無形世界に居られる神様は、初めに天使などを創造された。その後、天の無形世界の影として、有形実体世界の創造を始められた。」


4-13 肉体の死後

肉体が寿命を迎えると、それと同時に3.5次元の生命体は消滅します。その後、霊(アストラル体+霊人体)は、肉体を離れ、4次元のアストラル界に入ります。ただし、アストラル界は、3次元の地上と重なっているため、その霊には、3次元の世界が見えています。また、その霊の形状は、肉体と同じであり、その霊には、生前と同様に、感覚、感情、理性、心があります。そのため、急死した場合や、自分の死体を確認できなかった場合は、しばらくの間、死んだことを自覚できないかも知れません。また、死後の世界を信じていなかった場合には、なかなか死んだことを認めることができないため、容易には成仏できないかも知れません。それ程、アストラル界は、生前と変わらない世界です。

アストラル界に留まる期間は、通常、40日から50日程度です。その間に、自分の死を受け入れ、心情を整理し、次の5次元の幽界に入るための準備をします。しかし、地上に執着している場合や、自殺した場合、或いは、上述のように、死を受け入れられない場合などは、長い間アストラル界に留まり、幽霊として存在することになります。ちなみに、動物は、アストラル界までの存在であるため、幽界に行くことはできません。

幽界に入るときには、アストラル体を脱いでから行きます。幽界の生活は、地上と大きく変わりませんが、肉体はありませんので、それを維持するための苦労はありません。祝福家庭の場合は、幽界でも、そのまま家族として暮らすことができます。しかし、祝福家庭でなければ、たとえ地上で夫婦であったとしても、またそれぞれ転生しなければならないため、別々の路程を歩むことになります。

幽体も生前のような形をしていますが、見かけの年齢は、自由に変えることができます。ただし、幽体も、肉体のように寿命があります。幽界にいる期間は、普通は数十年から千年程度ですが、聖人の場合はそれ以上の可能性があります。自分の形をした幽体を脱ぎ、次の世界である無形の霊界に行くということは、生前から持っていた自分の外的な特徴を捨てるということ、即ち、個人的なアイデンティティーを捨てるということになります。これは、第二の死を迎えるということであり、さらには、自分の根本である魂に帰るということでもあります。

こうして、また自分の魂から出発して、別人として転生し、新しい人生の経験を積むことになります。そして、その人生を終えると、また自分の魂に帰ります。人は、このような転生を数え切れないほど繰り返してきました。従って、人の魂には、様々な人生の記憶が蓄積されています。つまり、今の自分が、本当の自分ではなく、自分の魂としては、経験する必要のあった一つの人生を、肉体を持って歩んでいるということになります。

私たちも、今までは、転生を繰り返してきたのですが、祝福によって生霊体を授かりましたので、転生する必要はありません。もちろん祝福二世も同様です。従って、霊体を脱ぎ、生霊体として、家族で9次元の神界に入ることができます。そこが、永遠の故郷となります。つまり、祝福家庭は、永遠の家庭であるということです。これに関して、原理原本には、次のように記されています。「地上の夫婦は、天でも夫婦として、永遠の家庭を築くことができるのである。」


4-14 天の計画

初めの章で述べた「1-13 6次元(2)」の内容から分かるように、昼の神と昼の女神は、一対ずつ、双子として生まれ続けました。従って、昼の神と昼の女神は、多く存在しますが、比率は1:1となっています。

しかし、霊体(魂)となって霊界に入れば、男性格、女性格という明確な区別が無くなります。何故なら、9次元においては、陽電子、電子という二性が存在しますが、8次元から6次元までにおいては、原子は原子であり、分子は分子であるため、それらには二性というものが無いからです。従って、地上に降りるときには、男性にも女性にもなり得ます。つまり、男子の胎児に入った霊体は、男性の経験をすることになり、女子の胎児に入った霊体は、女性の経験をすることになります。こうして、男性と女性の両方を経験することによって、昼の神と昼の女神は、互いを理解することができるようになります。

地上に降りて、何をするのかは、あらかじめ計画されています。その計画が実行されるように、天の故郷の仲間たち(魂のグループ)で役割分担をし、互いに助け合うようにしています。ある霊人たちは、肉体を持って、直接、役割分担を果たすように設定されているかも知れませんし、ある霊人たちは、霊的に支援するように設定されているかも知れません。しかし、地上に降りて、肉体を持った霊人たちは、あらかじめ立てておいた計画を思い出すことができません。従って、各自は、自分の魂(生心)による導きや、同じグループの霊人たちによる導きに任せるしかありません。このように、計画には、不確実性が含まれています。このような計画の中でも、必ず通過しなければならない路程を宿命といい、変更可能な路程を運命といいます。

その計画の目的は、グループ全体の魂を向上させることにあります。従って、その計画には、良い事ばかりではなく、不幸としか思えない苦労をする事も半分程度は含まれています。このようにして得られた各自の経験は、グループ全体で共有化されます。

ここでいうグループというのは、会社組織のようなもので、数人の小さなグループから、大勢が所属するグループまで、様々なグループが、組織的につながっています。必要があれば、組織内のグループ同士で、戦わせることもあります。従って、これが同じ仲間なのかと思うような事さえあり得ます。しかし、それは必然性の中で起こっている事です。

このように見れば、私たちは、あらかじめ立てられた計画の中で歩んできたということになります。つまり、配偶者も子供たちも、会うべくして会ったのであり、今までの経験も、あるべくしてあったのです。


4-15 次元と霊統

人の魂は9次元から来ましたが、帰るべき魂の故郷が9次元であるとは限りません。それは人によって異なります。ここでいう人というのは、地球人だけではなく、宇宙人も含めます。私たちの場合、魂の故郷は9次元にあるのですが、今までは、そこに帰れなかったため、9次元より下のどこかを一時的な拠点としていました。それが、楽園と呼ばれているところです。これに関して、原理原本には、次のように記されています。「天に行った人々は、再臨の時まで楽園に留まっているが、それは、神様の子女として、天国生活ができずにいるためであり、準備段階にあるということである。」

ここで注意しなければならない事は、魂の故郷の次元が高いと言っても、それが良いという事ではありません。何故なら、次元の高い存在ほど、大きな力を持っているため、その力の使い方によって、善なる存在としても、悪なる存在としても、大きな影響を与えてしまうからです。つまり、それだけの責任を負うということになります。そのため、多くの魂は、必ずしも、高い次元になることを望んでいるのではなく、それぞれが良いと感じるところを魂の故郷にしています。しかし、そこで違和感を抱くようになった場合や、より向上したいと思うようになった場合には、他のところに移っても良いのです。

一般的には、次元が高いほど、霊格が高いと考えられているかも知れませんが、必ずしもそうではありません。例えば、同じ3次元でも、様々な霊格の人たちがいます。つまり、各次元の中に、様々な霊格の人たちが存在しているということになります。

たとえ今、霊格の高い人がいたとしても、その人の霊格は、初めから高かったのではありません。誰でも最初のころは未熟だったのです。転生の経験が少なく、善悪の分別(ふんべつ)が無ければ、反省することもできません。しかし、後になって、悪い結果(不幸)が自分に返ってくるようになれば、その原因を考えざるを得ません。地上で反省できなければ、死後に反省することになるかも知れません。そして、反省できれば、次の転生では、試練を乗り越えることによって、過ちの清算ができるように計画を立てます。ここで、過ちを犯すということは、基本原理から外れるということであり、それを清算するということは、基本原理に復帰するということです。しかし、転生すれば、転生前に反省していたことも、過ちの清算をするための計画を立てていたことも忘れてしまいます。こうして、また地上で同じ過ちを繰り返せば、その次の転生では、さらに厳しい試練に直面するよう計画を立てざるを得ません。このような事を、本当に悔い改めるまで繰り返してきたのです。このように、悔い改めることができるようになるのは、たとえ転生したときに、転生前のことを思い出せなくても、経験と反省を積み重ねることで、魂(生心)が因果の法則を学びながら、少しずつ成長していくことによって、良心作用が徐々に強くなっていくからです。従って、霊格が高いということは、数多くの転生を通して、様々な経験を積み重ねてきた結果、何かのきっかけで、猛反省したということです。

信じられないかも知れませんが、今の自分が、自分の全てではありません。数多くの前世を通して、良い事も悪い事もしてきたのです。そして反省を繰り返しながら、徐々に成長してきました。その結果が、今の自分の姿です。

もし、ある特定の人に対して、嫌悪感を抱いているとすれば、その人に、過去の自分、或いは、前世の自分の姿が、映し出されているのかも知れません。それを受け入れることによって、そのような感情から解放され、霊格をより向上させることができます。

ここで、よく考えなければならないことは、前述の過ち(基本原理から外れる事)とは何であるかということです。ここで、基本原理とは、端的に言えば、中心と対象が、愛と美を授受すれば、一つになるということです。こうして一つになれるのは、授受を重ねることで、相手に対する感謝の思いと信頼が高まっていくからです。では、基本原理から外れるということは、どのようなことでしょうか。それは、感謝の思いと信頼が高まるような授受をしていないということです。例えば、相手の心や身体を傷つけたり、相手を騙したりすることもそうですが、相手が喜びも感謝もしていないのに、一方的に与え続けることも、それに該当します。何故なら、授受が成立していないからです。このように、問題が無いように思えることでも、基本原理から外れている場合があります。これに関して、原理原本には、次のように記されています。「たとえ神様が、人に愛を与えたとしても、それに相応する美を受けることができなければ、神様は不義な行動をとっていることになる。


4-16 二元論と四元論

私たちが地上生活をする目的は、端的に言えば、魂(生心)を成長させるためです。魂の成長には、闘いや苦労などの困難が伴います。従って、平穏で苦労のない一生を過ごすことには何の価値も無く、また、そのようにもなっていません。ただし、困難な出来事が、必ずしも、魂の成長につながるとは限りません。それは、その人の受け止め方にかかっています。

人は、困難が続くことには、なかなか耐えられません。従って、ある困難を乗り越えた後には、必ず良い事があります。ただし、特に困難も無く、外的に成功すれば、有頂天になり、むしろ傲慢になるかも知れません。

つまり、人が困難な境遇にあるときには、それが魂の成長につながる場合と、その境遇を恨んでしまう場合があるということです。逆に、人が幸福を感じているときには、それが魂の成長の結果である場合と、外的に恵まれたことによる満足に過ぎず、むしろ物質中心的な価値観に陥ってしまう場合があります。このように、善に見えるものの中に、義と不義があり、悪に見えるものの中にも、義と不義があります。このように捉えるのが、四元論的な考え方です。

もし、二元論的に考えれば、「その人は普段の行いが悪いから不幸な目に遭うのだ」とか、「その人は普段の行いが良いから幸せなのだ」と、天の事情や計画があることを考えずに、地上の現象だけを見て、物事を善か悪かで捉えてしまいます。従って、二元論では、物事の本質を正しく捉えることができません。

極端な例を挙げると、二元論的に考えれば、ほとんどの人は、「戦争は悪だ」という一つの結論になると思いますが、四元論的に考えれば、「摂理的な戦争はやむを得ないが、人々のエゴによる戦争は悪だ」と捉えることができます。このように、四元論的に考えることができれば、天の事情を察することができるようになるため、真のお父様の路程や、真のご家庭の事情を、表面的にではなく、より高い次元から捉えることができるようになると思います。