13. 「真の愛は直短距離を通る」というみ言について
2024.10.16
下記のみ言をご覧ください。
「先生が一番苦労した事は何であるか。神人一体をどのように成していくのか、ということが一番の問題です。理論的に、どのように説明するのか、ということですよ。これを解明しなければ、理論体系を定着させることができません。人間の愛の根本的な位置が設定できなければ、全て間違ってしまうのです。ところが、ありがたくも、悟ったことが何であるのかと言えば、真の愛は直短距離を通るということです。真の愛とは何ですか。真の愛でないものは、遠回りして帰ってしまいますが、真の愛は、直短距離を通って行くのです。子を愛する父母の心は、直短距離を通って行くのです。上から下に行く縦的な神様の愛は、直短距離を通って行くので、水平線に対して90度以外は無いという結論になるのです。91度は直短ではありません。89度も直短ではありませんよ。ただ一つ、90度以外は無いという結論になります。上下でそうであれば、男性と女性が左右に、東西に分かれれば、真の愛は直短距離を通って行くので、その直短距離は、90度以外は無いということです。ですから、垂直を中心にして、90度になっていなければならないのです。それしかないでしょう。直短ですから。縦的直短と横的直短が接触するのは、90度以外は無いという論理になるのです。」(249-3 1993年10月10日)
上記のみ言を図にすると、下のようになります。
ここで、「直短距離」という言葉は、韓国語にも日本語にもありませんので、直線距離と最短距離を合わせた造語であると考えられます。
では何故、真のお父様は、「真の愛は直短距離を通る」と言われたのでしょうか。結論から言えば、愛を量子論的に捉えて、「愛は一瞬で伝わる」と解釈すべきところを、古典物理学的に捉えて、「愛は最短ルートで伝わる」と解釈してしまったということです。しかし、それは仕方のない事でした。何故なら、その当時、量子論はよく知られていなかったからです。
皆さんは学校で、「時間=距離÷速度」と習ったと思います。これは、ある物体が、ある速度で、ある距離を移動しているということが前提となります。つまり、移動するには時間がかかるということです。これが、古典物理学の基本的な考え方です。
真のお父様は、愛の伝達を、物体の移動のように考えておられたと思います。それゆえ、愛が、上から下に、最も早く伝達されるためには、図のように、最短の垂直線でなければならないという結論に至ったのだと思います。
しかし、愛は物体ではなく、量子論的な情報の一つであると考えられます。量子論でいう「量子もつれ」によって、二者がつながれば、その二者がどんなに遠く離れていても、量子論的な情報は、テレパシーのごとく光速を超えて、一瞬で伝達されます。このように、量子の世界では、古典物理学の常識は通用しません。
ここで量子とは、物質を構成している原子そのものや、原子を構成している電子、中性子、陽子といった素粒子や、光子、ニュートリノ、クォークなどの素粒子のことです。
天宙統一思想では、神様は素粒子で構成されているとしています。また、人間の霊人には、原子で構成されているエネルギー体や、素粒子で構成されているエネルギー体があるとしています。従って、神様と霊人との情報伝達、或いは、霊人同志の情報伝達は、光速を超えて、瞬時に行われます。ところが人間の肉身は、そのような情報を敏感に捉えることが困難であるため、自分の気持ちなどの量子論的な情報を、言動や態度などの古典物理学的な方法を使って、伝達する必要があります。ですが、肉身と霊人がしっかりつながっていれば、相手の気持ちや、天の御心が、テレパシーのごとく、一瞬で分かるかも知れません。
もし、真のお父様が「量子もつれ」をご存じであったとすれば、「直短距離」や「90度」のような言葉を使って愛の説明をされず、次のように言われたかも知れません。
「真の愛は、距離に関係なく、テレパシーのごとく、一瞬で伝えられる。」
皆さんは、神様は遍在されていると、聞いたことがあると思います。それを古典物理学的に捉えて、時間と空間を想定した中で解釈すれば、神様は、いつでも、どこにでも存在していると考えるかも知れません。しかし、神様が遍在されているという意味は、神様は時間と空間を超越した、量子論的な霊的存在であるということです。これは、人間の霊人も同様です。従って、上に示した図のように、それぞれの位置が決まっているのではありません。つまり、上に示した図は概念図であって、実際に、そのようになっているのではない、ということに注意しなければなりません。
