14. 「主体と対象が万有原力により相対基準を造成する」というのは間違い

2024.11.05

原理講論の「授受作用」というところには、次のように書かれています。

「あらゆる存在をつくっている主体と対象とが、万有原力により、相対基準を造成して、良く授け良く受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、すなわち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのである。このような過程を通して、力を発生せしめる作用のことを授受作用という。ゆえに、万有原力と授受作用の力とは、各々原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの、主体的なものと対象的なものという、相対的な関係をもっている。」

私は、ここでいう「万有原力により相対基準を造成する」という意味を全く理解することができませんでした。果たして原理講論を編集した方は、どのように解釈して、そのように書いたのでしょうか。

初代会長が執筆された原理解説には、次のように書かれています。

「第3節 授受作用による万有原力
神様が運行されるところに生存と繁殖と作用の力が生じるのであり、神様は自己の二性性相に似たところに運行されるのであり、二つの存在が相対基準を造成しなければ神様の二性性相に似ることができないのであり、相対基準は、二つの存在が互いによく与え、よく受けることのできる回路を作り、主体と対象として立ち、互いに不可分の一体的な関係を結ぶときに造成されるのである。このように完全無欠な相対基準を造成するのであり、神様の二性性相に似ていないものは一つも無いため、神様が運行されない被造物は一つも存在しない。このように全ての被造物は、神様が運行することのできる実体の対象として創造されたため、どこにでも居られるという神様の遍在性を理解することができるのである。(中略) ニュートンの万有引力の学説は、創造原理の一面だけを把握したところで提唱されたのである。万一、全ての存在に引力、即ち、受ける力だけがあるならば、被造世界の全ての存在物は互いに衝突し、全て破壊されるであろう。従って、受ける力があると同時に与える力があるのであり、そのため、被造世界は均衡のとれた存在基台を維持するのであり、永遠に存在するための力を維持するのである。このように、二つの存在物が完全な授受の関係を結び、各々が主体と対象の位置を決定すれば、存在と繁殖と作用の力を発生するのであるが、この力を万有原力とし、この原力の強弱を数字で表したものを原力係数とする。この原力係数の差によって引力が生じるのである。」

端的に言えば、主体と対象が一体的な関係になったとき、相対基準が造成されたというのであり、主体と対象との授受によって生じる力を万有原力というのである、ということです。

では、真のお父様が執筆された原理原本には、どのように書かれているでしょうか。

「中心的存在に対して、相対的な位置を取れば、そこには必ず引力が働いている。しかし、それと同時に、反対方向の力も働いている。ここでは、その力を授力と呼ぶことにする。この授力と引力を授受してこそ、相対的な位置が定まり、対象として完成するのである。つまり、対象は、中心的存在と授受しながら、平衡を保っているのであり、引力だけでは、引き続けることになるため、原理の完成した状態を維持することはできない。従って、授力と引力が共にあってこそ、平衡を保つことができ、対象は、中心の周囲を運動することができるのである(円運動の場合には、遠心力を授力、向心力を引力と見ることができる。愛と美を授受する場合には、愛を授力、美を引力と見ることができる)。授受作用によって生じる力を、私は万有原力と言っている。」(原理原論21.8 P223参照)

原理原本でも原理解説でも、「主体と対象が万有原力により相対基準を造成する」とは言っていません。さらに、原理原本と原理解説では、授受作用の結果として万有原力が生じるとしているのですが、原理講論では、「万有原力と授受作用の力とは、各々原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの、主体的なものと対象的なものという、相対的な関係をもっている」という全く逆の事を言っています。

このように、原理講論の解釈は間違っています。どうして、このような事になったのでしょうか。