09. 科学的に証明されれば信じるのか
2024.09.06
前回の続きになります。原理講論の総序には、次のように記されていますが、やはり私は、この内容に共感できません。
「いかに霊的な事実を否定する人であろうと、それらのことが科学的に証明されるならば、信じまいとしても信じざるを得ないのが人間の本性である。」
皆さんは「質量保存の法則」を覚えているでしょうか。これは中学校で学んだもので、化学変化の前後で物質全体の質量は変わらないという法則です。この法則は、実用上問題のない分野では用いられていますが、厳密には正しくありません。
素粒子などを研究する分野では、質量保存の法則は全く成立しません。何故なら、素粒子レベルにおいては、消滅や生成が起こっているからです。私が学生の時、量子論の教授は「素粒子は消えるけど、どこに行ってしまうのか分からない」と言っていました。
理論物理学者のリサ・ランドール博士も、素粒子に関して、同様の疑問を持っていました。それを追究していて突き止めたことは、宇宙が5次元になっているということでした。そうであるなら、素粒子は、異次元の世界に行ってしまうのかも知れません。
宇宙が5次元になっているということは理論上証明されましたが、それは、5次元領域までは存在するということが分かったのであって、4次元や5次元に意思を持った生命体が存在することを証明したのではありません。
人は死亡した直後に4次元領域に入りますが、その領域は3次元領域と重なっていて、生前の様子とあまり変わりません。その4次元領域をアストラル界と言います。このアストラル界に残ったままとなれば、幽霊になってしまいます。通常は、しばらくすれば、5次元領域に移動します。そこが幽界です。つまり現在の物理学は、5次元の幽界が存在するということまでを証明したことになります。
ところで霊界は、その上の6次元以上の領域にあります。では、科学は将来、6次元以上の霊界や、4次元以上の生命体の存在を証明することができるでしょうか。私は、それは無理だと思います。何故なら、科学者たちは、それらを証明するための研究をしているのではないと、私は思っているからです。従って、総序にある「それらのことが科学的に証明されるならば」という仮定は、不適切だと思います。
では「科学的に証明されるならば、信じまいとしても信じざるを得ないのが人間の本性である」という説は事実なのでしょうか。私は、そのような人は滅多にいないと思います。そもそも、科学的な証明に関心をもって、それを理解しようとする人が、どれ程いるでしょうか。それを理解するためには、多くの科学的知識が必要なのです。
ガリレオは、地動説を天体観測によって実証しました。当時の人々は、地動説を信じたでしょうか。ほとんどの人々は、それを信じませんでした。何故なら、当時の権力者たちの都合によって、宗教裁判所が地動説を認めなかったからです。つまり、ほとんどの人々にとっては、地動説が実証されたかどうかなど関係ありませんでした。もし、宗教裁判所が地動説を認めていたら、当時の人々は、それを信じざるを得なかったと思います。「公的に認められれば、信じざるを得ないのが人間の本性である」というのが事実ではないでしょうか。
真のお父様は「2012年になれば、霊界のことがあからさまに分かるようになる」と言われました。私は、それを信じ、その時を恐れていました。幽霊が見えるようになると思っていたからです。実際は、その時になっても幽霊は見えませんでした。でも私は、霊界のことが徐々に分かるようになりました。それは、2012年から、ネット上で霊界のことを明かす人たちが急激に増えていったからであり、私自身も頻繁に啓示を受けるようになったからです。
エベン・アレグザンダーという脳神経外科医は、患者たちから臨死体験の話をたくさん聞いていましたが、死後の世界などある訳が無いと、かたくなに否定していました。でも、彼自身が病気で昏睡状態におちいり、その間に死後の世界を見てきたため、その後は、死後の世界があることを主張するようになりました。
冒頭に示した総序の内容に対して、私は、次のように言いたいと思います。
「いかに霊的な事実を否定する人であろうと、それを自身で実体験したならば、信じまいとしても信じざるを得ないのが人間の本性である。」
神様と素粒子の関係について関心のある方は、天宙統一思想をご覧ください。