07. イエス様の13歳以降の路程と教え(2)
2025.06.02
前回の続きです。
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また、イエスは、パラブラフマ神、ヴィシュヌ神、シヴァ神は同一であるという、ヒンドゥー教の三神一体の教えを否定して、こう言いました。
「永遠の裁き主、永遠なる霊とは、唯一にして不可分の全宇宙の魂です。この神ただお一人が、全てを創り、全てを包み、全てに生命を与えました。この神のみが、永遠の昔から存在し、その存在に終わるときはありません。天にも地にも、この神と比べられるものはありません。偉大なる創造の主は、その力を、生きたどんなものにも分け与えません。ましてや偶像など、生命のないものに、主が力を分け与えるでしょうか。ただ、この神のみが全能なのです。この神が心に決めたから、地が現われました。神はその計画通り、水と、地の乾いたところを分け、水を一ヶ所に集めました。神は人という不思議な存在の原理であり、人の中に、神は自分の性質の一部を吹き込まれたのです。そして神は、地、水、獣などの、全ての被造物の上に人を立てました。全ては、神のこの計画に従い、不変の秩序のもとに、時と所を定められています。しかし神の怒りは、やがて人に向かって放たれるでしょう。何故なら、人はその創り主を忘れ、神の宮を忌むべきもので満たし、神が人の下に置いた、石や金属や動物を崇拝しています。人の中にこそ、至高の霊が宿っているのに、石や金属を崇めるために、人を犠牲に供えています。何故なら、おごりを極めた食卓に座り、働こうともしない人の機嫌を取るために、額に汗して働く人々をはずかしめているからです。神が与えた幸せを、兄弟から奪う者は、いずれ必ず自分が奪われることになるでしょう。バラモン(司祭)とクシャトリヤ(王族、武人)は、いずれシュードラ(隷属民)になるでしょう。そして永遠の神は、いつまでも、今シュードラ(隷属民)である人々と共におられるでしょう。何故なら、終末、裁きのとき、シュードラ(隷属民)とヴァイシャ(庶民)は、その無知ゆえに赦されるからです。しかし、これとは反対に、神の正義を横取りした者には、神の激しい怒りが降るでしょう。」
ヴァイシャ(庶民)とシュードラ(隷属民)は感激にあふれ、イエスに聞きました。永遠の幸せを失わないようにするためには、どのように祈れば良いのでしょうか、と。
「偶像を拝んではいけません。偶像に聞く耳はありません。ヴェーダ(聖典)に耳を傾けてはいけません。それは真理ではなく偽りです。人を押しのけてはいけません。隣人をはずかしめてはいけません。貧しい者を助け、弱い者を支えてやりなさい。誰にも悪事を働いてはいけません。あなたが持っていないもの、他人のものと分かっているものを、むやみに欲しがってはいけません。」
祭司と王の臣下たちは、シュードラ(隷属民)に説いていたイエスの説教を知り、イエスを殺そうと考えました。彼らは従者を差し向け、イエスを探させました。
しかし、シュードラ(隷属民)に危険を警告されたイエスは、夜に紛れてジャガナート地方を去りました。それから、山に入って、仏教徒の国、唯一にして崇高なブラフマン(ヒンドゥー教における宇宙創造の神)を信じる人々のところに住むことにしました。そこは、かの偉大なブッダの誕生の地でもありました。
義人イエスは、パーリ語を完全に習得したあと、聖なる仏典の研究に専念しました。こうして6年後、イエスは、聖なる教えを広めるため、聖典の完全な講述者になりました。その後、イエスは、ネパール、ヒマラヤ山地を離れ、ラージプータナの谷へ降り、様々な国の民に、人間の究極の完成について説きながら、西へ向かって行きました。
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本文において注目すべきは、「義人イエスは、パーリ語を完全に習得したあと、聖なる仏典の研究に専念しました」というところです。それゆえ、イエス様は、因果応報を説きながら、慈悲の愛を実践しておられました。ところが、イエス様は、創造主である唯一の神も説いておられました。つまり、イエス様の教えは、神仏習合、即ち、神道と仏教が融合したものであったということです。ただし、ここでいう神道とは、一神教の神道であり、現在の日本の神道とは異なります。
もしキリスト教が、イエス様の神仏習合の教えを反映していたなら、キリスト教と仏教は、調和することができたはずです。しかし、現実は、そうではありません。それは、キリスト教には、イエス様の教えが、そのまま反映されていなかったからです。しかも、数百年後には、原罪という概念が導入されました。原罪というのは、アウグスティヌス(345年~430年)の思想であり、それは、仏教にも、イエス様の教えにも無かったものです。
これと同様に、真のお父様が記録された啓示書、原理原本にも、原罪という言葉が一つもありません。ですが、原理講論は、最初から原罪ありきで書かれています。何か変だと思いませんか。原理原本に書かれていない、原罪というアウグスティヌスの思想が、原理講論には、原理のように書かれているのです。その原理ではない思想によって、真のお父様に原罪が有るのか無いのかという、不毛な議論をしているのではありませんか。
下記の動画をご覧ください。
追記:
イエス様がシンド(インド亜大陸西部)に着いたのは14歳のときでした。『聖イッサ伝』の通りなら、そのあとの6年間は、その周囲で過ごされ、さらに、そのあとの6年間は、ネパールで過ごされたということになります。従って、26歳ころから様々な国をまわって、教えを説いておられたということになりますが、その様々な国の中に、日本も含まれていたと考えられます。西へ向かって行ったというのは、そのあとの事だと思います。