06. 原理講論の幸福論は現実に合わない

2024.08.28

原理講論の「総序」には、次のように記されています。

「人間の本心は、このような欲望が自分自身を不幸に陥れるものであるということをよく知っているので、悪に向かおうとする欲望を退け、善を指向する欲望に従って、本心の喜ぶ幸福を得ようと必死の努力を傾けているのである。」

皆さんは、上記のように「悪に向かおうとする欲望を退け、善を指向する欲望に従って、本心の喜ぶ幸福を得ようと必死の努力を傾けている」でしょうか。私は、そのような努力をしてきた覚えがありません。ただ生きていくのに必死だったのであり、しかも人生の目的が何であるかも知りませんでした。これに関して、原理原本には、次のように記されています。

「目的に向かってこそ、発展するのであるが、人々は、以上のような根本的なみ旨を知らなかったために、今まで苦しみながら、無知で目的の無い者のように、ただ生きてきたのである。」(原理原論17.12 P169参照)

ほとんどの人が、このように生きてきたのではないでしょうか。

また、原理講論の「総序」には、次のように記されています。

「人間はだれでも、自己の欲望が満たされるとき、幸福を感ずるのである。」

皆さんの欲望は何でしょうか。美味しいものを食べることですか。大金を得ることですか。地位や名誉を得ることですか。組織を支配することですか。私は、そのような事に、あまり関心がありません。生きていけるなら、それで十分です。なので「自己の欲望が満たされるとき、幸福を感ずる」ということに、あまり共感できません。

私が幸福を感じるのは、信頼できる家族、知人、友人がいることを実感しているときです。それから、孫を見ているときも幸福を感じます。また、居場所と役割があるということや、趣味などを楽しむことができるということも、幸福なことだと思います。幸福の感じ方は、人それぞれではないでしょうか。

端的に言えば、幸福は、感謝することから始まります。下記の動画をご覧ください。

授受作用と万有原力

以上から、次のように言いたいと思います。

「人間はだれでも、感謝で満ちあふれているとき、幸福を感ずるのである。」

では、欲望が満たされるときに感じるものは何でしょうか。大金を得ると幸福になると思いますか。だんだん不安になってくるそうです。地位や名誉を得ると幸福になると思いますか。それがむしろストレスになると思います。恵まれた環境を得ると幸福になると思いますか。そのうち恵まれた環境が当たり前になってしまうと思います。人によって捉え方は違うかも知れませんが、欲望が満たされるときに感じるものは、一時的な満足感ではないでしょうか。そうであるなら、次のように言えると思います。

「人間はだれでも、自己の欲望が満たされるとき、一時的な満足感を得るのである。」

さらに、原理講論の「総序」には、次のように記されています。

「永遠の幸福を獲得するためには、宗教と科学とが統一された一つの課題として解決され、内外両面の真理が相通ずるようにならなければならないのである。」

では「宗教と科学とが統一された一つの課題として解決され、内外両面の真理が相通ずるように」なったでしょうか。原理講論が1966年に発刊されてから58年も経っていますが、未だにそれが示されていません。

でも、私は、上記の内容が「机上の空論」だとは思っていません。何故なら、天宙統一思想が足がかりとなって、内外両面の真理が相通ずるようになると考えているからです。

最後に、原理講論の「産業革命の意義」に記されている次の内容についてです。

「人間は、万物を主管せよと言われた神の祝福のみ言どおり(創一・28)、被造世界に秘められている原理を探求し、科学を発達させて、幸福な社会環境をつくっていかなければならないのである。」

果たして、科学を発展させることで、幸福な社会環境がつくられていったでしょうか。便利であることと、幸福であることは、意味が違うのではないでしょうか。

仕事に出かけるとき、雨が降っていたら、どう思いますか。憂鬱(ゆううつ)な気持ちになりませんか。でも、会いたい人に会うためなら、雨が降っていても、幸せな気分です。つまり、幸福かどうかは、その人の気持ちの問題であり、欲望云々と論じる問題ではないということです。

欲望というのは「不足を感じてこれを満たそうと強く望むこと」です。なので、現状に満足し、感謝していれば、欲望は生じないということになります。

ミニマリスト(必要最低限の物だけで生活する人)が、2010年ころから世界的に増えています。彼らは、物欲とはほぼ無縁であり、清貧を楽しんでいるとさえ言えます。また日本では、出世を望まない人たちが、全体の半数以上になっているといいます。

このような現状を見ると、原理講論の欲望ありきの幸福論は、現実に合わないということが分かります。