06. イエス様の13歳以降の路程と教え
2025.05.31
『聖イッサ伝』を参考にして、イエス様の13歳以降の路程と教えを、分かりやすくしました。イッサとは、イエス様のことですので、ここでは、イエスと表記することにします。
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イエスは13歳のとき、ひそかに家出をしました。そして、シンド(インド亜大陸西部)に向かう商人に付いて行きました。それは、ブッダの教えを学び、神のみことばを完成させたいと思ったからです。
シンドに到着したのは、イエスが14歳のときでした。イエスは不思議な子供だと思われ、そのうわさは、北シンド全域に広がりました。ジャイナ教(インドの宗教)の人々は、自分たちのところに留まって欲しいと、イエスにひたすら願いました。しかし、イエスは、ジャイナ教は間違っているとして、彼らのところには留まらず、オリッサのジャガナートに行きました。
そこには、ヴィヤーサ・クリシュナ(ヒンドゥー教の神)が安置されており、バラモン(カースト制度の頂点に位置する司祭階級)の僧らが、イエスを歓迎しました。彼らはイエスにヴェーダ(バラモン教とヒンドゥー教の聖典)の意味を解釈すること、また、祈祷によって病人を治すこと、さらには、人の体から悪霊を払うことを教えました。
イエスは6年間、ジャガナート、ラージャグリハ、ベナレス(ヒンドゥー教、仏教の一大聖地)など、聖なる都で過ごしました。イエスがヴァイシャ(庶民)やシュードラ(隷属民)と平和に暮らし、彼らに聖典を教えるのを見て、誰もがイエスを愛しました。しかし、バラモン(司祭)とクシャトリヤ(王族、武人)は、イエスに告げました。
「ヴァイシャ(庶民)とシュードラ(隷属民)は、偉大なるパラブラフマ神の脇腹と脚から生まれた卑しいものである。我らは彼らに近づくことを、神によって禁じられている。ヴァイシャ(庶民)に許されているのは、祭りの日に朗読されるヴェーダ(聖典)を聞くことだけであり、シュードラ(隷属民)には、何も許されていない。ヴェーダ(聖典)を唱える場に出ることも、ヴェーダ(聖典)のことを考えることすら許されていない。何故なら、シュードラ(隷属民)は、バラモン(司祭)やクシャトリヤ(王族、武人)、そしてヴァイシャ(庶民)にさえ、永遠に奴隷として仕えなければならない身分だからだ。ただ死のみが、彼らを奴隷の状態から自由にすることができると、パラブラフマ神は申された。だから、彼らのもとを去り、我らと共に神々を敬え。もし、あなたが神々に従わないのなら、神々はあなたに激しい怒りを浴びせるだろう。」
しかし、イエスは、その言葉に従わず、バラモン(司祭)とクシャトリヤ(王族、武人)に逆らい、シュードラ(隷属民)のところへ行って、教えを説きました。そして、同じ人間から、人としての権利を奪う、卑劣な人間の行為をののしりました。さらに、イエスは言いました。
「父なる神は、我が子に、どのような差別もしていません。父なる神は、万人を平等に愛しています。」
イエスは、ヴェーダ(聖典)を否定しました。それは、神から出てきたものではないと。さらに、イエスは言いました。
「神の掟は、あのように煩わしいものではありません。人の行為を導く掟は、既に与えられているのです。すなわち、あなたの神をおそれよ。あなたの神にのみひざまずけ。ただ、あなたの収入に応じてのみ供物を捧げよ。」
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キリスト教の組織は、ピラミッド型の階層になっています。それは、イエス様の教えに基づくものではありません。イエス様の教えは、「一人一人が直接、神様と向き合いなさい」ということです。つまり、中間の階層、宗教組織などは必要ないということです。
真のお父様も同様でした。
「将来の理想世界に、宗教は必要ない。」(原理原本 1952.5.10:原理原論17.2 P161参照)
「今までは、宗教を通して、神様に帰ろうとしていたが、これからは、直接、神様に帰ることのできる路程を探し出さなければならない。」(原理原本 1952.5.10:原理原論21.15 P232参照)
「恩恵のある人は、家庭的に集まります。教会に行きません。」(9-266 1960年6月5日)
「今後、教会時代は過ぎ去っていきます。人類が願うのは、教会ではありません。教会は堕落圏内で、復帰の運命の道を行く際に必要なのであって、新たな時を迎えれば、教会時代は過ぎ去っていきます。」(28-6 1970年1月11日)
「統一教会を解体しなければなりません。私が、自分が解体してしまわなければなりません。」(589-149 2008年5月14日)
「信教の自由」を訴えながら、宗教組織の解散に反対している人たちがいますが、それは天の御心に背くことです。信仰は、宗教組織の有無に関係ありません。もし、宗教組織がなければ信仰できないと言うのなら、信仰の仕方が間違っていると思います。