02. 原理講論に書かれていない生霊体の重要性

2022.12.07

真のお父様はクリスチャンでした。従って、原罪については、十分にご存じだったはずです。しかし、原理原本には、原罪という概念がありません。何故でしょうか。それは、真のお父様が、霊人体の構造を理解されていたため、堕落したアダムの霊人体に、どのような事が起こったのか、ご存じだったからです。つまり、堕落後に起こった根本的な問題は、原罪が人の肉身に遺伝するようになったということではなく、人の霊人体が未完成のままであったということです。

ここで注意しなければならないことは、霊人体の構造について、原理講論に書かれている内容は、原理原本と比較して非常に少なく、しかも、その内容に間違いがあるということです。従って、原理講論に執着すれば、原理原本の内容を理解することが困難になります。

まず、堕落とは、原理軌道から外れたことを言います。その原理軌道とは、成長過程を経て、神の直接主管圏に至る路程のことです。では、堕落したアダムに何が起こったのでしょうか。それは、霊人体を構成する霊体、生命体、生霊体のうち、生霊体を失ってしまったということです。神様とつながるためには、生霊体が必要です。祝福家庭は、祝福によって、この生霊体を授かることができました。つまり、霊人体は構造上、完成しています。たとえ、その自覚がなくてもです。

次に、肉身が、霊人の心的要素である生心に従っていれば、肉身は堕落していない状態にあると言えます。ここで、生心に従うということは、良心に従うということを意味しますが、真のお父様が言われた良心とは、神様と生心との授受によって良心原力が生み出され、その力が顕在意識の心に作用して生じるものであり、一般的な意味での良心とは異なります。つまり、ここでいう良心とは、常識や法律、あるいは、自分の経験や知識などによるものではなく、インスピレーションとか直感などによるもの、即ち、啓示であると言えるものです。

このように、霊人体が完成し、肉身が堕落していない立場に立てば、それは、堕落していないアダムとエバの位置に立ったということになります。これは、アウグスティヌスの原罪論でいう原罪に対して、無原罪であるという立場です。つまり、祝福を通して生霊体を授かり、霊人体が完成すれば、天の啓示とも言える良心に従うことで、霊肉共に堕落していないアダムとエバの位置に立てるということです。これに関して、原理原本には、次のように書かれています。

「子羊の婚宴によって、人々が生霊体を受ければ、霊人を完成させることができると同時に、肉身を完成させることができる。これが、再び生まれるということである。」

以上は、霊的な内容ですが、真のお父様は血統を強調されました。そのため、原理の内容が、アウグスティヌスの原罪論と結び付けられてしまいました。しかし、真のお父様が言われた血統という言葉には、霊的な意味を持っていると解釈すべきものがあります。それは、原理原本に書かれている次の内容から理解できます。

「人々は、サタンの霊的な血を受けることによって、神様から離れてしまった。イエスは、サタンの霊的な血を受ける道を遮断し、人々に霊的な生命の血を与えるため、復活後に昇天されたのである。」

以上のような内容は、原理講論にはありません。しかも、原理講論には、原理原本にはない原罪という概念が付け加えられています。何故でしょうか。それは、原理講論の元になった原理解説を執筆された劉孝元(ユー・ヒョーウォン)先生が、クリスチャンの家系であったからだと考えられます。キリスト教の教義の中に、上記のような内容があるでしょうか。また、お父様が言われた血統という言葉を聞いて、それが霊的なものだと判断できたでしょうか。その上、原理原本は走り書きのメモのようなものであり、そのまま読んでも意味がよく分かりませんでした。

そのため、劉孝元先生は、原理原本の内容について、真のお父様に質問をされました。しかし、真のお父様は、まだ明かすときではないとして、その質問に答えることをされませんでした。つまり、原理原本の内容がよく分からないまま、原理解説が執筆され、それを元にして原理講論ができました。そのため、原理原本と原理講論は、別物と言えるほど内容が異なっています。それは、比較してみれば、すぐに分かります。原理原本の内容を知りたい方は、「原理原論」あるいは「天宙統一思想研究所」と検索してみてください。「原理原論」は、原理原本を日本語に翻訳し、さらに解析して、読みやすくしたものです。

ここで、私が言いたいことは、真のお父様や真のお母様に原罪があるのか無いのかという論争は、意味が無いということです。いくら論じても、結論は出ないでしょう。何故なら、原罪というのは、アウグスティヌスの創作だからです。

天宙統一思想から見れば、真のお父様が天から生霊体を受け、堕落していない立場に立たれたのは、イエス様に召命された満15歳以降のことです。真のお母様の場合は、真のお父様とご聖婚された満17歳のときです。

参考に、下記の動画をご覧ください。