投稿

9月, 2025の投稿を表示しています

善と悪

〇〇さんへ 先日お話しした、相対(あいたい)する相手や善悪をどのように捉えるかという問題について、何故、私が、そのような結論に至ったのかということを、ここで明かそうと思います。 「神々とメシア」(2016年12月)に、次のように書きました。 「絶対性と相対性がバランスをとるためには、同格の立場でのコミュニケーションが必要である。しかし、その前提となる"愛"が欠けていた。たとえ原理原則通りのことを主張しても、相手への思いやりが無ければ、相手はそれを受け入れてくれないのである。それで、夜の神は、愛を追求せざるを得なかった。その追求は、目的を果たそうとする夜の神にしかできなかった。ただし、愛の追求にはリスクがあった。愛を知るためには、その正反対の"憎しみ"を知らなければならなかったからである。」(5-1参照) 私はこの時、善と悪もこれと同様に、切り離せない関係にあることを知りました。さらに「天宙統一思想」(2021年9月)に、次のように書きました。 「善に見えるものの中に、義と不義があり、悪に見えるものの中にも、義と不義があります。このように捉えるのが、四元論的な考え方です。もし、二元論的に考えれば、『その人は普段の行いが悪いから不幸な目に遭うのだ』とか、『その人は普段の行いが良いから幸せなのだ』と、天の事情や計画があることを考えずに、地上の現象だけを見て、物事を善か悪かで捉えてしまいます。従って、二元論では、物事の本質を正しく捉えることができません。」(4-16参照) 「悪の発生は必然であったと理解することができます。つまり、善を知るためには、悪を経験しなければならないということです。」(5-5参照) この時までは、善と悪について、以上のようにしか表現することができませんでした。ところが2022年4月、ある方の動画を観ていて、このような表現もあるのかと衝撃を受けました。それが、次の内容です。 「敵と味方、良い悪いでは、収まりきることができないのが真実、真理なのである。それを全て包括していく境地、敵でもあり味方でもあり、善でもあれば悪でもあり、全てがその中に内包されているのが愛であり、神であり、真理であり、宇宙の偉大さなのである。それに溶け込んでいったとき、本当の意味での安息、達観した境地、真の安らぎ、揺らがない絶対的な軸や安心感が...